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  お詫び。 雑談: 春の散歩:ハルジオン ( 春紫苑 ) とヒメジョオン ( 姫女菀 )                                     東京労災病院 森田明夫   先日来報道されています通り当院職員整形外科副部長が収賄容疑で逮捕されるという事象が発生してしまいました。患者様、ご家族、近隣の医療機関、関連の方々には大変なご心配とご迷惑をおかけし大変申し訳ありません。当院では本件を厳粛に受け止め、警視庁の捜査に全面的に協力するとともに、このようなことが二度と起こらないように、院内のコンプライアンスを徹底的に強化してまいります。また診療については、救急対応、連携医療、外来、入院治療、手術治療など含め粛々と滞りなく遂行できる体制を整えておりますので、安心してご紹介また受療していただければ幸いでございます。 本当にご心配、ご不安をおかけし申し訳ございません。   さて 今日の話題は、今朝のラジオの内容です。 Yuming の歌に ハルジョオン ・ ヒメジョオン という 歌 があるのをご存知かと思いますが、皆様ハルジオン(正式には漢字で春紫苑)とヒメジョオン(漢字は姫女菀です)の違いをご存知だったでしょうか?今朝のマイあさで千葉県立中央博物館の尾崎先生が2種の違いを説明してくれました。我々が普段よく街中で見かけるのはハルジオンらしいです。これらの名前を聞いて、皆さんは雑草っ !!! (昔よく貧乏草とも呼ばれていたそうです)と思うのではないかと思いますが、元々はどちらも観賞用に輸入されたキク科の品種だったそうです。よく見ると可愛い花です。どちらもひまわりと同じで真ん中の黄色いところは筒状花という筒状の花の集合で、周囲の花弁と思えるものが 舌 状花というもので 1 枚の花びらごとに雄蕊雌蕊があって、それぞれ種を作るので、絶大な繁殖力があるそうです ( 川崎 市 教育 センター ) 。2つはとても似ている花ですが、通常関東とかでよく見かけるのはハルジオンです。花弁が毛のように細く、蕾が下を向いていて、茎が中空、葉が茎の周りを少し囲むようで出てるのが特徴で、一方でヒメジョオンは花弁が少し広く、蕾は上向、茎は詰まっていて、葉は素直に出るそうです。 では本当かと労災病院の近くの森ケ崎公園と森ケ崎
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  福島孝徳先生を偲ぶ:再会を期待して! 森田明夫 (ちょっと専門的な記載があるので、あまり一般向けではありません)     恩師である福島孝徳先生が亡くなった。ご本人の意思で 亡くなった詳細は わからないが、一昨年くらいから腎臓の不全などの体調の不良や検査データをお聞きして心配し、また昨年 9 月にバルセロナのヨーロッパ脳神経外科学会で先生を称えるセッションがあった際、いつもの迫力のなさを見てものすごく心配していた最中である。私は凡庸な脳神経外科医であるが、福島先生に刺激されて洗脳されて、今まで頑張ってきたように思う。以前先生と師とする喜びを書いたことがあるが( 前部長 の ブログ : 福島 先生の こと : 洗脳 と 師とする 喜び )、その時は先生はご健在だったので、ご容赦いただけると思い、ちょっとふざけた(事実ではあるが)内容が多かった。 福島先生の偉大な業績については、多々提示されているので別に譲る。ここでは私が個人的に接してきた福島先生についてMemorialとしたい。 先生と密にご一緒したのは、 1984 年から 86 年の 3 年間弱、私の脳神経外科専修医としてトレーニングの最も重要な時期を先生と過ごしたことになる。毎日のように「超一流を目指せ!」と専修医には言い、そういうご自分も、日々新しい手術、他とは違う医療のレベルを目指しておられた。先生の夢は「福島手術!」というジャンルを作ることだったと思う。当時先生は 40 歳くらいで、その若さで三井記念病院という都内の一流の病院の部長を任せられていたわけなので、東大の教授たちの信頼を一身に受けていらした。私はまだ専門医をとっていなかったので、全てをわかっていたわけではないが、印象に残っている最大の教訓は、「出血を徹底的に抑えること。中途半端な止血で次のステップに行かないこと。」先生がおっしゃっていらしたのは、「最初は時間がかかるかもしれないけど、ステップステップをしっかりやってゆくことで、自然とスピードもついてくる。手術は早くやろうとするな、ステップをしっかり踏むことで、自ずと無駄がなくなりスピードもついてくるというものだ。」外来の脇にあった医局ではその日にあった手術を当時 4~5 名ほどいた医局員で話あった。あの手技はなんだ?どうしてあのような針を使

2024年4月 桜と日本人

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  「桜と日本人」 東京労災病院 病院長 森田明夫   桜はいつ頃から日本人の心をとらえるようになったのか、という話を先日 NHK のラジオで話されていました。奈良時代は中国から伝来した梅が最高の季節の花であったようです。桜はそれこそ今大河ドラマで放映している「光る君へ」の時代 平安時代に小倉山や吉野山とかの山桜を愛でるようになり、それ以来徐々に花見の文化が広まったらしい。平安時代でも菅原道真など、有名な飛梅の話もあるくらいで、梅の方が上級な花だったのかもしれません。歴史上最も有名な花見といえば、秀吉が伏見醍醐や吉野で開いたお茶会花見で、 絵巻 にもなっており、身分の上下に関わらず参加できたらしいです。最近は海外の人も桜を見に日本にも来るし、韓国でも桜は人気になっているようですが、日本人で桜が嫌いという人に出会ったことがありません。なぜそんなに日本人は桜が好きなのでしょう?特に吉野山で有名な山桜やオオシマザクラとエドヒガン桜の交配で豊島区駒込の染井村で品種が作られた ソメイヨシノ は花が葉に先行して咲きポッと白く山や土地を染めます。また牡丹のように花ごと落ちることが少なく、花びらがハラハラと散るさまが日本人の優しい心にフィットしたのか、逆にそのような儚い花のあり方が日本人の心のあり方を作ったのかもしれない思います。 みさなんもご存知かと思いますが、ソメイヨシノは元々は1本の樹から代々クローン、接木で作られる人工品種です。 60 歳樹齢寿命説がありますが、一応これ以上生きる樹木もあるようですが、やはり 60 年過ぎたものは倒れたりするので、伐採されることが多いそうです。私は米国留学時代ワシントンでポトマック川沿いの戦前に日本から贈られた ソメイヨシノ を見に行ったことがありますが、それが、、日本のソメイヨシノとは全く違い、ハラハラと散ることはなく、最低一週間以上は花が咲き続け、花弁ごと牡丹のようにボタっと落ちることが多くなっていました。「強い桜だ。桜も住むところが違うと性格や体質が変わるのかな?」と思いました。当時は自分も米国に永住して、強い人格を作って頑張ろうなどと思っていた頃で、でもはらはらと散るような「物の哀れ」がやはり自分からは抜けきらず、帰国したという経緯があります。ちなみにポトマック川の桜は高峰譲吉がなんとか日米友好の証にと 1911 年に