福島孝徳先生を偲ぶ:再会を期待して! 森田明夫 (ちょっと専門的な記載があるので、あまり一般向けではありません) 恩師である福島孝徳先生が亡くなった。ご本人の意思で 亡くなった詳細は わからないが、一昨年くらいから腎臓の不全などの体調の不良や検査データをお聞きして心配し、また昨年 9 月にバルセロナのヨーロッパ脳神経外科学会で先生を称えるセッションがあった際、いつもの迫力のなさを見てものすごく心配していた最中である。私は凡庸な脳神経外科医であるが、福島先生に刺激されて洗脳されて、今まで頑張ってきたように思う。以前先生と師とする喜びを書いたことがあるが( 前部長 の ブログ : 福島 先生の こと : 洗脳 と 師とする 喜び )、その時は先生はご健在だったので、ご容赦いただけると思い、ちょっとふざけた(事実ではあるが)内容が多かった。 福島先生の偉大な業績については、多々提示されているので別に譲る。ここでは私が個人的に接してきた福島先生についてMemorialとしたい。 先生と密にご一緒したのは、 1984 年から 86 年の 3 年間弱、私の脳神経外科専修医としてトレーニングの最も重要な時期を先生と過ごしたことになる。毎日のように「超一流を目指せ!」と専修医には言い、そういうご自分も、日々新しい手術、他とは違う医療のレベルを目指しておられた。先生の夢は「福島手術!」というジャンルを作ることだったと思う。当時先生は 40 歳くらいで、その若さで三井記念病院という都内の一流の病院の部長を任せられていたわけなので、東大の教授たちの信頼を一身に受けていらした。私はまだ専門医をとっていなかったので、全てをわかっていたわけではないが、印象に残っている最大の教訓は、「出血を徹底的に抑えること。中途半端な止血で次のステップに行かないこと。」先生がおっしゃっていらしたのは、「最初は時間がかかるかもしれないけど、ステップステップをしっかりやってゆくことで、自然とスピードもついてくる。手術は早くやろうとするな、ステップをしっかり踏むことで、自ずと無駄がなくなりスピードもついてくるというものだ。」外来の脇にあった医局ではその日にあった手術を当時 4~5 名ほどいた医局員で話あった。あの...