自分を作るための"3**"という時間

 

    自分を作るための“3**”という時間

                                                             東京労災病院 森田明夫

    今回の文章は、脳神経ジャーナルという脳外科雑誌の「温故創新」というコラムに寄稿したものを改変したものです。

           近年のAIの発展は目覚ましいものがあります。特に2022年初頭からの生成AI Chat GPTの公開以来 「これはどうなってしまうの?」という勢いです。たとえば頭蓋底外科の訓練はどうすれば良いか?などという質問(プロンプトという)を投げかけると、ほぼ即座にごく真っ当な、どこかの学会の重鎮が述べるような項目がかなりたくさん提案されます。当初は日本語版は誤りが多く英語版の方が真っ当な答えを出してくれる状況でしたが、そろそろ言語差は無くなってきたようです。学位論文提出でAI使われたらばどうする?選挙で候補者と全く同じ声・アクセントで偽情報が作れてしまう。漫画やものすごくあり得ない「冬の雪の京都に桜が舞う」なんていう紛れもない写真のような画像も瞬時に作れてしまいます。

ADOBEのFireflyというソフトで作った 桜の咲くスイスの街、雪の京都に桜が咲く絵2種(富士山まで!)

 


 

    このような進歩に我々はどう対処すれば良いのでしょうか?人間の脳とAIの違いは何か?などとつらつら考えます。最近思うのは人間には“3**”という時間が必要なことです。AIはかなりの難問でも適切な質問や依頼条件をだせば瞬時に情報をかき集めてまとめてくれますが、人間には時間とその時間費やした労力が必要だとうことです。

      “3日坊主”という言葉があります。物事の修練を始めて、または面白いことに興味を持っても3日以上その興味が持たないと、人間にはまともにその事例への愛着というか、習慣ができない:という意味なのだろうと思います。なぜ3日なのか?を考えると多分脳の記憶回路や小脳と大脳連携のシナプス構築に3日間くらいの時間を要するのではないかと、昔からの経験をもとに古人が見出したのだろうと思う。本当にそうだなと思う。私もつい先日俳句でも始めようかと、俳句指南書や歳時記、国語辞書などを買い集めたが、興味は3日続かず、身になっていない。でも日本は季節に関わる(季節を示す)言葉がたくさんあるんだな〜〜ということを知ることはできました。

    次に“3ヶ月”という時間について考えます。欧米では年を4つに割ってQuarterと言って、Mayo Clinicの脳神経外科臨床研修でも一人の先生のもとで腫瘍や脊椎・脊髄、血管障害、てんかんなどの機能外科、小児、外傷、頭蓋底部などを各Quarterで学びます。脳外科の父の一人とも言われるG.M. Yaşargil先生は理想の脳外科トレーニングは各解剖部位やコンセプト・手技(皮膚・筋肉・神経、頭蓋脊椎骨、硬膜・くも膜など髄膜、脳脊髄血管、脳実質・白質解剖、脳室、末梢神経、脳脊髄のコンパートメント・セグメントのコンセプト、脳脊髄への手術アプローチ)についてそれぞれ3ヶ月の解剖実習と生理の理解、手技の訓練(剥離と縫合)をすべきとおっしゃっています(Yaşargil先生の言葉と私の感想についてはこちらを参照)。 要は専門分野の知識や技術をつけるためには3ヶ月という時間が必要ということだと思います。ちなみに私の一生のうちで最も幸せで充実していたと思う3ヶ月は1992年の1月から3月の真冬のRochester(-30℃になります)Thoralf M Sundt, Jr教授の1st Assistantをできた期間です。Sundt先生は著名な脳血管外科医で日本にも何度か招かれていましたが、当時Mayo ClinicChairman(主任教授)でした。渡米して最初の挨拶で19894月に教授室に伺った際にド緊張とSundt先生の南部訛りの英語が全く理解できず背中が凍るとはこういうことだと確信しました。先生は1985年に多発性骨髄腫に罹患して予後半年と言われていましたが、不屈の精神で1992年秋まで活躍されました。私が1st Assistantを担当させていただいた前のQuarterはお体の具合が悪くて、また助手もあまり手術がうまくなかったので、ほとんど手術はされなかったのですが、私は英語はダメでも福島孝徳先生仕込の手術技術を持っていた(つもりだった)ので、Sundt先生が「Akioが助手なら手術ができるな、、」ということで3ヶ月間で30症例を超える巨大動脈瘤や困難な動静脈奇形などの症例をこなされた。私が開け閉めしてシルビウス裂(大脳の前頭葉と側頭葉の間の境界)を分けて動脈瘤の頸部のところまで出してSundt先生にクリッピングなどをお願いするという手順で何症例も経験することができました。クリップをかける時のSundt先生の息遣い、威厳さ(Dignitiy)を今でも思い出します。今まであのような迫力・気力を出して手術している人を見たことがありません。外来日にはSundt先生と患者診察に付き添ったのですが、ある日St. Mary病院(入院施設のある病院)からMayo Clinic(外来がある建物)に向かうバスの途中「Akio(南部なまりでエキオと呼ばれます)。俺はなんで病気になったかわかるか?」と問われ、もちろんわかりませんと答えたのですが、「それは昔若い女性の動脈瘤の手術に失敗したからなんだ、、」とおしゃっていました。数千例の脳動脈瘤の手術をされていたSundt先生が1例の失敗で自分の命と引き換えも仕方ないと考えるという「手術への覚悟」に感銘しました。その3ヶ月は私の苦しくも楽しく長い米国生活の中で最も輝いていて、その3ヶ月のために米国で9年間を過ごしたのだとしても悔いはありません。

私にとってのもう一つの重要な3ヶ月はUCAS Japan(未破裂脳動脈瘤の研究です)NEJM(New England Journal of Medicine)への投稿に要した時間です。私がダラダラと論文を書かないでNTT関東病院での臨床に明け暮れていた頃、当時の落合慈院長が、「このままだと別の医者にUCASの結果論文を書かせると桐野教授が言っていたぞ、、!」といわれ尻に火がついて10年以上かけて貯めてきたデータを“3ヶ月”で論文に仕上げ、そしてNew England Journal of Medicineへ投稿し、Editorから“Interesting”と返答され、必死の超膨大なRevisionを超高速で死に物狂でして、Acceptまで辿り着いたのも“3ヶ月”間ででした。「人間3ヶ月必死に頑張れば、生まれ変われる!」と思った瞬間です。(当時のNEJMとのやりとりに興味のある方はこちらを)

     ついで“3年”について考えます。“3年”で思い出すのは様々な(無謀な?)教授選考に落ちまくって、東大助教授からNTT東日本関東病院の部長に就かせていただいた際に、落合院長から「お前 どこかの教授になるつもりなんだろうけど、『石の上にも3年』って言葉知ってるか?何事も成し遂げるには最低3年は必要なんだよ。だから3年はいろよ!」と言ってくださったこと。人間一つの仕事、事業、プロジェクト、たとえば病院のDepartmentに特色を出して自分のDepartmentと言われるようになるには最低3年間が必要ということだったと思います。ちょうど3年ほどたったときにKNI Activitiesこちら)というNTT東日本関東病院脳神経外科2008-9の業績集を出版した時の、落合先生の驚き・喜んでくださった顔が今も思い出されます。我ながら初めて作った業績集ですが、なかなかの出来だったと思います。それを見たのをきっかけに加わってくれたレジデントもいました。何か自分として生きた形を残すとしたら、3年は必要なのだと思います。

     最後は“30年”。これについて日本語の格言などありませんが、30年という期間は、丁度全てのトレーニングにエキスパート・一流になるための時間として言われている10,000時間、10,000日ルールに一致します。特に集中してその時間を修練や学習に充てれば多くはExpertの域に達することができるということです(異論ももちろんあります)Gladwel M。人間の知識・術とそれらの統合で最高レベルに達するには10,000(=30)が必要ということです。医学界でもそれは通用するようで、超早く教授になる方もいらっしゃいますが、日本では教授になるのはおおよそ50歳台で、医師になってほぼ30年たった頃です。その位の期間と経験を積めば、その道で大学での主任を任しても良い人になるということでしょう。教授になるというのは医師としての人生のほんの一例ですが、30年くらい必死で頑張れば、良い医者になれるということかと思います。伊勢神宮では20年で式年遷宮を行うというしきたりがあります。それは技術や知識を世代交代で絶やさないように行なっていることだともいわれます。20年という時間は、知識や技の伝統を受け継ぎ、次代を作るために必要ということです。勝手な解釈ですが、10年間先代の元で修行した人が、先代が遷宮したのちに、20年かかって自分の技を高めてゆき、次の遷宮を担当する。後半の10年は次世代を育てているということかなと思います。各世代の重複時間を作り、30年で成熟する技や知識を最後の10年間で次の世代に引き継ぐために使うということだろうと思います。このような人生の佳境の30年の時間が人の一生の中でとても大事なことと昔から考えられてきたことなのでしょう。

           人間の知識や技は脳や身体が時間をかけて会得してゆくというのが最も大きなAIとの違いだと思います。その時間の間に、その時その時の感情や肉体的感覚と共に、自分の個性や嗜好、信念、夢、発想など付随したものが生まれます。AIもそのうち個性を持ったものができてくると思うし、AI抜きでこれからの社会を生きてゆくのは非効率だと思います。AIに使われるのではなく、うまくAIを使いこなすためには、“3日”、“3ヶ月”、“3年”そして“30年”かけて会得した“自分”と“自信”をしっかりもって生きることが最も大切なのだと信じます。

    文献) Gladwel M: Oulier: The Story of Success  Little, Brown and Company, 2008

    雑談:

    先日ゴールデンウイークに近場の面白そうなところに行ってみようということで、NHKのラジオで栃木の人が紹介していたあわの花農場というところに行ってきました。通常は豊島区の自宅からは1時間ちょっとで行けるはずので、いくらゴールデンウイークとはいえそんなにはかからないだろうと思ってでかけたのですが、大変甘かったです。到着予想時間はどんどん先に先になってゆきます。さっきまで1時間半と出ていたのに、20分たっても時間が減るのではなくさらに伸びて2時間後となり、最後は3時間となってしまいました。途中何度も諦めかけましたし、隣に乗っていた妻は、トイレ休憩等でパーキングに入ろうとしている車の1kmにも及ぶ車列を見て青ざめ始めました。本当になんで日本は皆さんの休みや旅行の時期が重なってしまうのか?うまく分散する方法はないのか?と思ってしまいます。ただ私などは病院と合わせて休み、運営日はいないといけないので、なかなか変更はできないのですが、世の中には働く期日を調整できる職種もあるのではないかと思います。できれば政府にコレコレの職種やこれらの年代の人はこの日を休日にすること!とか決めてくれるとありがたいですね。ゴールデンウイークも1次GW, 2GWとか分けてあるといいですね。

    話がそれました。では花農場はどうだったかというと、足利フラワーパークまで秩序だって大々的ではない(行ったことないですが駐車場が超混みそうだったので立ち寄りませんでした)のですが、ご高齢の女性七名が放棄されていた蒟蒻畑を花農場に変えて、イタリアンシェフの力を借りてレストランも運営しているところです。食事も地野菜たっぷりで、ミントティーも取り立てのカモミールの花とか入っていて、とてもほっこりする場所でした。上記の下腹がゴロゴロしてくるような苦しみを経験しても行ってみた価値はあったと思います。花もざっと種をまいて育てている感じでしたが、素敵な色合いでした。その時に撮った写真と、その翌日に業務の合間に行った新潟の北方文化博物館の藤の花を紹介します。足利フラワーパークの藤は、アバターという映画の第1話に出てきた生命の源とされるEIWAのモデルとされています。新潟の藤も足利ほどではないです、かなり大きくて、本当に大きな藤の下の空間は紫の空気が満ちているように感じます。それに新潟はそんなに混んではいません。素敵なところですので機会があったら足を伸ばしてみることをお勧めします。5月の第1週がベストな時期です。

病院の地域との連携を向上するための活動として、先日当院の事局長や両立支援センター(勤労者の病気治療と仕事の両立を支援する機関です)の担当者たちと大田区役所の鈴木区長、玉川副区長、医療福祉担当の方々を訪ねさせていただきました。私の就任のご挨拶と当院の今後の活動方針を説明させていただき、両立支援センターの紹介、そして予防医療や自転車ヘルメットの装着の徹底の重要性などを強調していただくようお願いしてまいりました。みなさん自転車運転は必ずヘルメットをしましょう!

それと院内に大森第一中学校の生徒さんたちの書道作品を展示させていただきました。もしお時間がありましたら見にいらしてください。若い人たちの元気の良い作品に力をもらえますよ。

写真1:花農場あわの1カモミール、ひなげし、ネモフィラ、矢車草などがたくさん咲いています

 

写真2:花農場あわの2:里山と花

 

写真3:花農場あわのの料理:地野菜たっぷり使った田舎風イタリアン

 


写真4:北方文化博物館(新潟)の藤:藤色の空気を感じます

 



写真5:大森第一中学校の生徒さんたちによる書道作品の展示


 

 

 

 

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