2025年5月31日土曜日

岸田君のお話しから。

 

岸田君のお話しから

       森田明夫

                     日本国の前首相を岸田君などと呼ぶのは大変おこがましいのだが、高校の同級生というよしみで許してもらいたい。

       先日母校開成学園の父母会で岸田君のお話しがあるというので会場の体育館で聴講させてもらった。対象は中間試験真っ最中の土曜日であったが、開成の在校生1000名超、私を含めたゲスト数10名。父母は現地とwebで数1000名が聴講した。国の元首をした人の話というのは、非常に重いと感じたので、少し内容を紹介させて欲しい。

 

       まず岸田君の開成での思い出からの出だしだった。高校から入学の彼も、ボートレースで歌を喉が張り裂けんばかりの声で歌わされたこと。隣の教育大付属の応援席には私服女子がたくさんいて、黄色い声で応援されていて、数年間続けて男子の怒号の応援虚しく開成のボートレースは負け続けていたこと。高校3年生では、中1から高校2年生までの運動会チームを竹刀を振り回してスパルタで訓練するのが常だったが、クラスのご意見番が、「それぞれの自主性に任せてはどうだろう?」と言った意見に皆が賛同して、自主性に任せた運動会競技訓練をしたところ、、結果はボロ負けであったこと。それによって、『人を動かすためには飴と鞭が必要』なことを知ったこと。古くて汚いボロボロの校舎での楽しい学びでは、周囲の埃で黒の学生服を汚さないで立ったまま体操服に着替える技をつけたので、外務大臣をしている頃、海外でちょくちょく服をタキシードとか色々な服に瞬時に着替える技として役立ったという話。

 

       さて、彼の開成学園の生徒へのメッセージはまず2つ。彼の高校生活は、興味のあった文集の読書で終始して全く受験勉強には力が入らず、結局2浪することになったこと。そして、大学卒業して銀行に勤めたが、銀行が金融破綻で失業してしまったこと。そして政治の世界を志すことになったことなどを例に挙げて2つの大切なメッセージを伝えた。

1)    人生何が起こるかわからない。

思い通りにいかないことが多いけれど、へこたれずに我慢し、生きながらえれば、なんとかなるということ。

彼は、実は自民党内で森総理の時に起こった加藤の乱の反乱勢力にいたとのこと。その後全ての役職を外され、とことん鎮圧されたこと。その後の我慢が大切だった。との話。

2)    失敗したら、反省はしても、後悔はするな!

人生どんな時期にも、失敗にも意味がある。無意味な人生はない。ということ。彼にとって受験の失敗も、先ほどの加藤の乱での失敗も、銀行の破綻も全てに意味があったこと。後の人生で、たとえば彼が、金融政策を打ち立て、「世界に日本は買いだ!」と訴えた時にも、私は日本の総理大臣の中でも唯一金融界出身のものだ!その私がいうのだから、嘘はない。と付け加えたそうである。

      

       さてそのよう一般的教訓のほかに、開成出身者には色々なリーダーになる人が多いということから、リーダーに必要な力を3つ話してくれた。

       リーダーに必要な力は

1)    人の話を聴く力。

2)    決める力。

3)    伝える力。

だと言う。

昔は親子3代で同じテレビを見ていたので、否応なしに興味のない番組でも見ることになり、様々な情報が耳に頭に入る。そして会話がある。一方現在では、ネット社会で、自分の世界に閉じこもり、自分が好きだと思う情報しか読まない、見ないようになっている。自分と合わない意見や情報は遮断し、時には誹謗中傷する。そうして今の分断社会が生まれてしまっている。生身の人間同士が、直接話あい、意見を交わすことがものすごく大事な時期に来ている。

遮らないで人の話を聞く態度がすごく重要なのが、色々なところで目につく。

次に決める力について、コロナや戦争の勃発、それに引き続く物価のとてつもない上昇、これらのそれぞれについてきちっと決断をしてゆかねばならない。自分の国の自主防衛についても、先送りしてきた課題に決着をつけなければならないと言う観点から、自国を守れる力をつける防衛予算をつけた。

ただ決断すればするほど、敵も増えるということを実感したと言う。なあなあで皆に良い顔をしていればその場は良いかもしれないし(内閣支持率も保てる)が、将来のっぴきならないことになってゆくことは明らか。今話題になっている減税についても同様である。確かに物価上昇で生活は苦しいが、だからといって減税をすれば、借金だらけの日本の政策が他国に信頼おかれなくなり、国債の利率がものすごく上昇してしまうことになりかねない。今はしっかりした政府で未来を見据えた予算措置をしているから信頼されているが、その場しのぎの人気政策をとればどのようなことになるのかは明らかだ。と。

最後に伝える力について。しっかりと自分の想い・信念をわかってもらうことが大切だということ。

 

そんな話の後、学生の質問を受けた。

開成の学生は、本当に感心したが、きちっと的を得た質問を、高校3年生から中1までしっかりとできていた。私など恥ずかしくて、質問しようとするとドギマギしてしまうのに。。

 

質問1(高校2年生?):岸田元総理にお尋ねします。高校時代 受験勉強しなかったのに、どうやって浪人中はギアを上げたんですか?

 

A: なかなかすぐにはギアは上がらなかったけど、また浪人時代もたくさん友達ができて、今でもとても仲良くしてもらっているけど、人間のやる気って波みたいなもので、結局どこかで帳尻が合うんじゃないかな。。

 

質問2(高校3年生?):岸田先輩にお聞きます。人生で最も緊張した時はどんな時ですか?

 

A: (少し考えて)外務大臣の時に、日本国を代表してロシアのプーチン大統領と話をした時。日本の国益、日本を代表して困難な相手と話をする時ほど、緊張、興奮することはない。とのこと。さらにプーチンさんは数時間遅れて現れ、待たされ、先生パンチをくらわされていたとのこと。

(私は、「総裁選で河野さんと争った時」と答えるかと思ったのですが、さすが、国の元首を務めた人は、個人的な争いよりも、国のためのことが真っ先に来るのだな。と思いました。)

 

質問3:(中学3年生?):岸田総理(?今は総理ではないが、)にお尋ねします。開成の経験が外務大臣のときの着替え技術で役にたったそうですが、総理の時に開成の経験が役立ったことはありますか?

 

A: 友人関係や人脈ですね。開成と言う優れた人たちの集団から多くの助けをいただいたと。

 

質問4:(高校1年生?):岸田総理、若者には、投票の1票の価値が低すぎて、投票率が低迷しています。どうやって投票率を上げようとお考えですか?

 

A: カンボジアでは独裁政権で国民の投票なんてできない時期があった。それが解放され、投票権が生まれた時、数時間かけて喜んで投票に行く人の画像が紹介されていた。自分たちで政治を動かしていくという自覚、より良い国にしようという願いを皆が抱いてくれれば自ずと投票率は上昇すると思う。

どうやって目先の数値を上げようとするかよりも、国の政治が魅力的に見えるようになることが重要と考えます。

(ちょっとハッとさせられるお話だった。例えば数値目標。そればかりが先走りして、本来の物事の真髄は何かを見極めないといけないと言うこと。)

 

質問5:(中学2年生?)::総理はエゴサーチしますか?

 

A: 人の評判を聞くことも大事だが、人の評判にこだわりすぎると心が折れるので、なにくそと言う気持ちを持ち続けるために、していない。大事なことは秘書官に伝えてもらっていた。

 

質問6:(中学1年生):岸田元首相にお尋ねです。少子高齢化社会ですが、どうやって保険福祉の費用を支弁しようとお考えですか?

 

A: まずは異次元の少子化対策も必要。その上で、裕福で健康な高齢者の負担なども考慮する必要がある。バランスとれた保険福祉行政が大切だと思っている。

 

父母会からの要望は、 『ぜひ再度総理になって、明るい日本を取り戻す努力をしてほしい!』

 

最後に自身のお話を再度繰り返し、失敗しても、結局は何が起こるかわからない。過信や名誉心が打ち砕かれることもある。でもその先に、そのことに何かがあると信じて、前向きに頑張ることの大切さを強調した。

 

全てを覚えているわけではないが、このような内容のお話だった。

 

現在ネット社会でコスパ、タイパの重視、目の前の利益の重視、などが色々な世代、業種で見られる。医療界では、それほど重い修行をしなくても、収入の良い美容外科に直接就職する「直美」などが課題となっている。3Kの外科などは入局者が著しく減少している。将来日本医療の土台が危ぶまれている。

 

どんな無駄に思える時間も、訓練や勉強や、辛い経験も意味があり、自分を育ててくれる。

 

回り道、失敗、後戻り、全てに意味がある。

そして、苦しい時も耐え抜いて、再生する力をつけることが大切というメッセージだった。

特に経営状況の悪い病院を任された身としては、心を蝕むようなストレスばかりだが、本当に心に染みる話だった。この心を病むような苦労や悩みも、何かのきっかけになるかもしれないと。

 

 

雑談:

5月は連休での患者減少をビクビクしながら始まった。でも結局大幅な患者減少を見ながら、自分は呼び込みをするわけにもいかず、連休は新潟や長野を旅してきた。

銀山平はまだ雪深く、雪と山桜の共演。蕗のとうやつくし、行者ニンニク、甘草とかが一斉に芽吹いている。北方博物館の藤は今年はやや遅くて、やや短い印象でした。松本では、町外れにある浅間温泉に泊まる。松本本箱と言うテーマのお風呂場を本の見本市みたいにした宿である。古い宿は自由人とか星野リゾートとかの新しい資本による経営に変わっているところが多い。松本は町中から北アルプスの雪解け水が地下に蓄えられていて、豊富で綺麗な水が飲み水として町中に流れている。美味しいコーヒー屋さんが多いそうだ。お蕎麦もとても美味しい。5月半ばには1年間取り組んできた京急グループとの連携の一つの形として、京急ストアから健康に留意したお弁当が発売された。題して東京労災病院森田院長・脳神経外科医の監修お弁当。身体想い弁当。です。京急ストアのノウハウと当院の管理栄養士やお弁当プロジェクトのチームが出した健康によいバランスを、うまく取り入れたお弁当ができた。とても嬉しい出来事だった。おまけに売れ行きもまあまあらしい。今度お弁当コンテストに出品するようなので、うまく入賞してほしいと思う。鈴木大田区長にご紹介したら、区長のSNSで紹介してくれました。

 

 写真:

 



 

 

 銀山平の春


  新潟港と北方博物館の藤

 

 松本にて





 

 

 

 



2025年5月7日水曜日

米国にて想うこと

 

米国にて想うこと

久しぶり米国を訪ねた。それも早春の緑が爽やかなBostonである。今回は米国脳神経外科学会が、私の古くからの友人であるprof. Jacques Morcos先生が会長で開催されるということで参加を決めた。またその会に先立って、脳外科界のレジェンドであるprof. MG Yasaragil先生が今年100歳を迎えられるということで、先生にちなんだマイクロサージェリーの学会も開かれた。ドナルド トランプ大統領の一見無秩序かつ無頼漢のような政策に右往左往する世界の中で、米国はどんな状況なのかも興味があった。しかし聞いてはいたが物価がものすごく高い。ビールは空港では一杯3000円はするし、空港で水を買うと500mlのペットボトルが約500円である。市中でも、空港内よりは多少やすいが、食事は、サンドイッチは最低10ドル、マフィンなどは5ドル、店に入って食事をすれば、ラーメン一杯3000円、通常一回の食事でランチで5~6000円、夕食なら1~2万円は覚悟である。ホテルは市内でシャワーがついているまともな宿は軒並み1泊素泊まりで最低でも300ドルかかる。5万円近い。日本なら京都の老舗旅館の柊屋別館で素晴らしい夕食と朝食がつく料金である。もちろん円安の影響もあるが、全体にお金の価値が非常に低くなっている。一般の道路の工事作業員とかどうやって暮らしているんだろうとおもう。8名のメンバーで食事をしたら、店員にチップは最低100ドルだと言われてしまった。一体どれだけチップで稼ぐのだろう。。あれば税金申告しているんだろうか?と不思議になる。

はてさてそんな困ったことはさておき、実際の世の中はどうかといと、相変わらず米国は世界の中心のように振る舞っている。確かにそのように想う。学会では、午前中はプレナリーセッションとなっており、出席者全員2~3000人が1会場で話を聞く。内容は誰もが知っておくべき先進的な脳神経外科の領域での進歩を扱った研究発表とそれに対するコメントと鵜呑みにしないための注意喚起。そして、がんばった人たちへの感謝と賞与、あとは会長が目指す学会のコンセプトを代弁する様々な領域で活躍する人たちの数10分のスピーチが散りばめられている。今回は意思の強さと信念、不屈の精神、そして幸福への道導を中心としたいくつかの話が、講演者たちの経験談をもとに語られた。空虚な絵空事の話ではなく、彼らが歩んできた道の話をするのだから、内容には実がある。最初のMr. Bob Woodruffという米国のジャーナリストが、彼がどういう意思を持って戦地や内戦の激しい国で重症外相を負うという経験をしながらも、現地取材をしてきたのかという話をした。女性代表の1名はMrs. Asma Khanというインド人の博士で、皆の反対を押し切って英国で女性のみが従業員のインド料理店を開き大成功した人であった。信念を持って進めばなせないことはない!という話である。さらにDr. Peter Diamandis、長寿の秘訣のベストセラーの著者である。不屈の精神について米国のアイスホッケー選手・監督のMr. Mike Eruzioneのお話。それまで注目されていなかった無名の大学生の若手中心のアイスホッケー米国オリンピックチームが世界の強豪を破って金メダルを取ったエピソードを紹介した。脳科学者のDr. Gerd Kempermannは彼らの動物実験を紹介し、脳の発達には刺激・変化のある環境が必要という話をした。心理学者のMr. Shawn Achor は人の繋がりによる幸せと成功の作り方を話す。TEDの講演が話題となっている人である。それらの話の中で最も感動したのは会長Prof. J. Morcos本人による彼の歩んできた道である。彼はレバノンの生まれで、レバノン内戦の頃ベイルートにあったアメリカン大学で医学を学ぶ。途中大学が被爆したり、その際に出血している兵士を医学生だった彼が何をして良いのか分からずガタガタ震える手で出血を抑えていた。その際、その出血している黒人の兵士が、「先生。あんたは大丈夫だよ!」”Doc. You are OK!”とむしろ患者が安心させてくれたこと。大学の恩師がその時の被爆で亡くなったこと。その後イギリスで脳外科を研修し、キューバ出身の恩師のProf. Rober Herosのいたミネソタ大学脳外科に就職。その後は彼に伴ってマイアミ大学に移り、今はテキサスヒューストン校の主任教授としてかなりの額で引き抜かれたという話。すらっと話されたが、実際に生死に関わる戦火の中で学び、様々な障害があったが、挫けることなく自分の意思を貫き続けたこと。様々な先生から学んだことを話していた。そして家族からもいつも刺激を受けているという現在を紹介していた。彼自身が国外からの留学生だったから、私のような外国人で英語が少し下手でも優しく付き合ってくれるのだろう。そしてまた移民として生きてきた先生方を大切にしている。私は途中で挫けて日本に帰国してしまったが、何か反省させられながら感動して聞いていた。

このように米国という国は、優れて、競い合いながら世界レベルに生き残り勝ち残った人たちで構成されている国である。違う文化も柔軟に取り入れ、人種や考え方の違いを排除せず興味を持って受け入れ、国全体の力としてきた。だから国としてイギリスや日本のように老化(人のという意味ではなく、国の生き生きとしたという意味)せず、成長を続けられるのだろう。いつも変化し、それにうまく対応してゆくという流れができている。そこに、今回の不法移民対策とは言いつつも、実際にはほとんどの米国に在住する外国人への強力な締め付けが始まっている。古くから米国の地盤層となっている田舎の農民や工場勤務者から支持を受けているトランプ大統領が、科学者や正規の移民や留学生に圧力を強めている。聞く話では留学生は一度交通違反切符を切られると国外退去だそうである。何を言っても取り合ってくれないそうである。なんということだろう。移民、それも上流な移民があの国を作っているというのに。ではそこに日本のチャンスがあるかというと、なにしろ物価が安いから旅行の対象としては日本に来るだろうが、給与や研究費は欧米やシンガポールの1/10以下なので、絶対に日本で働こうとは思わないだろう。友人から聞いた話であるが、シンガポールの国立の研究所では、NIH(米国国立衛生研究所)の研究費を持っているような世界的な研究者には年間1億〜数億の研究費をポイっと出して招聘しているそうである。その額は日本では、やっと勝ち取れる数少ないAMEDの研究費相当である。

日本の科学や医学研究のレベルは経済と同等に、爆下がりである。このままではどうにもならない。なんとかして、経済的なバックグラウンドの革新的な改善と、それに伴う研究費、そして医療費の増額が必要だ。そうでなければ、海外からは日本の観光を楽しみにくるインバウンドだけで決して日本に本当に資する優秀な外国人を招聘することはできず、また心ある優秀な日本人は海外へ出て行ってしまうだろ。

今の大河ドラマべらぼうで石坂浩二さん演じる松平武元が語っていたように世の中を動かしているのはお金だけではないけれど、では日本は何を魅力とできるのだろうか?

100年後の日本が、私たちが誇れる国であり続けられることを祈りたい。と米国で思った。

雑談:

米国には、上に述べたように多くの優秀な人材が揃っているだけではなく、文物も素晴らしい。今回ものすごく感動したのは、Harvard Natural History Museumの残されている19世紀末に当博物館の館長が、チェコのガラス職人に依頼して作った植物標本である。すべてガラス細工で、水水しい植物や花、種子の大型モデルなどが所狭しと一部屋に収められている。

黄色やオレンジやピンクや、薄紫の素敵は本物そのものと見間違うガラスでできた標本である。何時間でもその部屋で過ごせるくらいどれも素晴らしい。

時代が変わっても、良いものを将来に残すという意思が素晴らしい。

ニュアンス的ではあるが、米国では、未来を見越しても、変わらない筋というのができているようにおもう。日本は伝統のある国とは言われるが、時代時代で方針や、文化が180度全く変化してしまい、むしろ変わることが美徳とされているような気がする。政治にしても文化にしてもである。一方米国は今回のような一時的な危機はあるものの、様々な文化をとりいれながらも、人間の根底にある筋を見極めてそれはしっかりと確保し中心に据えていると感じる。

日本も100年後、1000年後も根本にある何かを持ち続けてほしいと想う。手塚治虫さんが描いていた火の鳥みたいなものかもしれないが、シンボルではなく、実際の形となるもので、人の心の拠り所になるものがあれば良いと想う。

 

写真集:

 

Prof. J. Morcosの講演の一部 師匠の福島先生もスライドで手術の技を彼に教えた人として紹介されています。講演後standing ovationを受けていました。

 

 

Boston散歩 とても清々しいシックな街です。

 

 

 

友人たちと会うのも、Local foodを楽しむのもMeetingの重要な意味合いです。

 

 

 Harvard Art Museumの至宝コレクションから

 

 

Harvard Natural History MuseumGlass Flowers

Yaşargil先生を偲んで

  Y   Yaşargil 先生を偲んで                                                                                            森田明...