2024年8月2日金曜日

医療連携懇話会を開催しました

 

    さる731日に東京労災病院医療連携懇話会2024を西蒲田のプラザアペアで開催しました。53連携医療機関の関係者93名に出席していただき、とても和やかな雰囲気で開催することができました。当日は突然の豪雨で京浜東北線が止まってしまうなどということがありましたが、ほぼ予定通りのご出席をいただきました。

大変お忙しい中、また足元の悪い中、ご出席いただいた方々に感謝いたします。

自分がまずスライドを使って当院の75周年、これからの当院の1つの目標に向かった3つの対策についてお話させていただき、その後診療科紹介として呼吸器センター、消化器外科、脳神経外科・脳卒中センターについて、各科部長(穴見、小林、加藤部長)にお話いただきました。

    引き続いて懇親の部では、大森医師会の水野会長、田園調布医師会の内山会長、蒲田医師会の前前会長である熊谷先生に一言ご挨拶をいただき、新井副院長の発生で会を開催しました。多くの先生方とご挨拶させていただき実りの多い会であったと思います。

医事課や医療連携室、その他事務の人たちや関係者の努力に頭が下がります。

私の当院紹介や各科の紹介は時間を見てYoutubeで紹介させていただこうと思います。

地域医療機関との連携は、病院の活力を維持するためにとても大事であることをつくづく感じています。趣向を変えて、介護施設や歯科・薬剤、在宅医療の先生方とも新たな連携の会を開催することも検討しています。

病院が地域に開かれた施設となるよう努力をしてゆこうと思います。

 

以上、先日の会の報告でした。

今は夜間から早朝にかけては、連日のオリンピック@パリでの日本人の活躍が素晴らしいですね。一方でぜひ勝ってほしかった池江さん、阿部詩さん、江村美咲さんが期待されていて結果が出せなかったのは、本当に心が痛いくらいでした。色々コメントが載せられていましたが、池江さんのコメントが最も心に刺さりました。

「なんのために今日まで頑張ってきたのだろうと、そういう気持ちです。」

絶対そんなことはないと思います。彼女がオリンピック代表の座を勝ち取った時、あの痩せた姿で筋トレを頑張っている姿が、思い出されて私ですら泣きました。多分日本中の病気で苦しむ人たちにものすごい力強さでエールを送ってくれていたと思います。

ぜひ切り替えて今後も力落とすことなく頑張ってもらいたいと思います。

 

 

 講演会



懇話会

 


 


 

雑談:今回の雑談は大田区名所探訪です。すでにろうさいラウンジの方にちょっと紹介しましたが、大田区にも、色々な名所旧跡があります。

労災病院から車で10分程度のところに東京港野鳥公園があります。大田市場の北の埋立た湿地帯に作られています。いくつかの池(淡水、海水)と堰き止められた湿地、樹木地などがあり、大都会の真ん中にあるものすごく静かな佇まいの公園です。駐車場も無料で、高齢者(>65)は年間パスポートが600円です。たくさんの野鳥がおり、私は真っ白な大さぎ、ムクドリ、カルガモ、鵜、カワセミなどを見ることができました。園内にはすごい望遠レンズのついた本格的なカメラを持った本職か趣味人かわかりませんが、男女問わずたくさんいて、お仲間らしく色々な話をしながら野鳥の居場所などの情報交換などをしていました。観察小屋といういわばお城の攻撃窓みたいな野鳥から人が見えないようになっている小屋の細い窓から野鳥の生態を観察できます。今回はカワセミが見たくて行ったのですが、最後の小屋で見ることができました。瑠璃色の小さな、すごく綺麗な鳥でした。3羽が戯れて飛んでいました。鵜も鵜飼は見たことありましたが、野生の鵜が集団でいる姿は圧巻ですし、良い時間を過ごせました。都会の真ん中に別世界があります。公園にはレンジャーがしっかりいて、季節ごとの鳥や虫、その他の案内をしてくれます。(レンジャーのブログはこちら

先月は本門稲荷にも参りましたが、この紹介はすでにラウンジにも掲載しましたので、ご覧ください。どちらにもかなりの樹齢の大楠やシダジイがあります。今後も色々なところを巡ってご紹介したいと思います。大田区居酒屋探訪記もそのうちに。

 


 




2024年7月6日土曜日

余生とはいつからをいう蝉時雨

 

余生とはいつからをいう蝉時雨

森田明夫

 

先日NHKラジオ深夜便で、薮光生さんという全国和菓子協会の専務理事の方を交えての「わたし終(じま)いの極意(和菓子で心の栄養を)」と題した番組があった。私は元々甘いものをそんなに食べないので、「和菓子か〜〜〜」という気持ちで半分寝ながら(朝4時台の番組なので)聞いていたのだが、内容がすごくてどんどん目が覚めてきてしまった。もしこの話をもう一度聞けるのであれば聞きたいくらいである。

薮さんは元々建築業界にいたが、会社が潰れてしまって、ゆっくりしようかと思っていたところ彼が以前書いた業界再建の文章が、和菓子協会の虎屋の社長さんたちの目に止まって、和菓子業界の再建を望まれ請われて今の役職についたとのことである。全く違う領域の再建を願われるのだからものすごく勉強したと思うが、本当に凄まじい行動力である。和菓子の原料である豆や砂糖のことの知識を突き詰め、毎日毎日餡を作って家族で食べたそうである。

薮さんの和菓子関係の書籍には豆や砂糖と日本、世界の食文化に関する知識も豊富に書かれている。豆が好きな人にはたまらない。

 

さて番組の内容であるが、非常にうとうとと聞いていたので断片的なのはご容赦いただきたい。

まず年齢が80歳越えであるが、声の張りと話の内容がすごい。日々努力しているんだろうな、、という感じだ。

建築業界から和菓子の業界のトップの上り詰めるのに、何が大切だったかというと、「いつも興味を失わないこと」と「なぜを繰り返すこと」だそうである。なぜそうする、なぜそこでこうする、、、と質問攻めにする。和菓子の専門家の説明でも彼は質問攻めにするので、「薮さんの質問は後にして」 とよく言われたそうである。

私ども業界の手術に関しても、今までは「見て盗め」と言われていたが、何故そうするのか?を質問することが、技の知識化の重要とされる。先日聞いた学会発表で神戸大学の先生が専攻医の先生に全ての手術で3つの質問を考えておくようにしていて、手術後にそのことを復習しているそうである。AAR(アフターアクションレビュー)という目標を達成するための改善法だそうである。何故をもつことが脳神経外科の手術を学ぶ上での重要だということである。薮さんはそれを昔から自分で実行して和菓子についての本を何冊も著すくらいの知識を得たということである。

人間の能力は計り知れない、努力をすればするだけ進歩するということを体現してきた。何か新しいことを成し遂げたいのであれば、毎朝30分早めに起きて、できるようになるまで、続ける。ということ。餡を作るのも、何かを勉強するのも毎朝30分早起きしてやっていたそうである。常に一生懸命な姿勢を崩さないということが大事とのことである。

 

さて話の主題であった終活についてであるが、薮さんの終活は、65歳を過ぎた日から、週末の土日は全て奥さんに捧げた?そうである。それまでは自分が彼女を振り回していたので、65歳以後は奥さんがしたいということを毎週末しているそうである。絶対服従だそうである。奥様が行きたいところについてゆき、したいことを一緒にする。奥様は「今が一番幸せ」と言っているそうである。

そんな生き方もあるな。と思う。なかなか安月給の自分達にはあまりできることではなくて、まだ週末はバイトがてらの業務や学会などに顔を出している自分からはなんとも、羨ましいというか、できないな〜〜と思うが、75歳以降はそうするか、その頃は歩けなくなってしまっているか?などつらつら考える。

なかなか薮さんの言葉や考えについては和菓子専門の本以外に良い資料が見つからなかったのだが、ホームページを渉猟していたら、豆・豆料理探求家の五木のどかさんという人の書いたインタビュー記事を見つけた。薮さんの考え方や人生についてもう少しまともな情報が欲しい方はこの記事を読まれると良いと思う。

全国和菓子協会薮光生専務理事を訪ねて

その記事に次のような言葉があった。“薮さんは「知行合一」という言葉を大切にしているそうである。「知れば必ず行う、知ることと行うことは必ず一緒に進み、行わざるは真に知らざるものである。知は理想であり、行は実現である」。「なるほどと思ったら、まず実行。すると良い結果が生まれ、失敗してもそこから何かを学ぶ。その学びをさらに実行すれば、必ず良い結果がでる」という陽明学に基づく教え。”だそうである。

 

そして上記のラジオ番組の最後にアナウンサーが薮さんの終活についての言葉を問われて出したのが、このブログのタイトルである。「余生とはいつからをいう 蝉時雨」

 

この年になると、人生は拡大路線ではなくだんだん縮小路線に入ってくる。いつまでも若い気であれば、新しい知識や技を身につけられるし、人間には努力によって限界はないんだ!という本当に元気が出る番組でした。毎朝30分早起きして!なんて思いましが、実行できたのは3日坊主でした。意思が弱い。

もし本番組の再放送があったら皆さんも聞いて欲しいと思います。深夜・早朝ではなく普通の時間帯に流して欲しいですね。

 

ちょっと今は色々なことに限界を感じながら毎日を過ごしているので、少し元気になった時間・お話の紹介でした。

 

文京区千駄木・日本医科大学の隣にある一路庵。2月から前の年に塩漬けした桜の葉っぱがあるときだけ供される桜餅と、同じ時期に出される草餅。どちらも非常に美味しくて、毎回あるときは買って帰ります。
 

 

 

雑談:

6月には週末を利用して、以前感動した奥入瀬の奥にある蔦温泉の脇にある蔦沼を訪れました。早朝6時半ごろに沼に行くと、し〜〜〜んとした湖面に赤倉岳という山が映り、ものすごくぶなの新緑が綺麗です。微かになく小鳥の声に囲まれて、自然の中にたった一人という感じです。昨今の熊出没情報が怖かったのですが、熊に引っかかれることなく戻ってきました。そういうたった20分くらいの時間でも生まれ変われる気がしますね。

できたら紅葉の季節にも行ってみたいですが、ものすごく混むようです。

青森編でした。

ついでですが、中学生の頃から行きたかったのですが、かなっていなかった中尊寺の金色堂も観てきました。昔奥州で産出する金で奥州藤原氏が建てられたのですから、金の価値って昔もすごかったんだなと思います。頼朝の頃の作られた素晴らしい芸術品が現存しています。日本ってものすごいなと思います。

 


 蔦温泉の近くにある蔦沼。湖面に映る赤倉岳。6月はものすごい緑です。

 

中尊寺金色堂覆い堂です。中に とても綺麗な御堂があります。

 

 

2024年6月1日土曜日

自分を作るための"3**"という時間

 

    自分を作るための“3**”という時間

                                                             東京労災病院 森田明夫

    今回の文章は、脳神経ジャーナルという脳外科雑誌の「温故創新」というコラムに寄稿したものを改変したものです。

           近年のAIの発展は目覚ましいものがあります。特に2022年初頭からの生成AI Chat GPTの公開以来 「これはどうなってしまうの?」という勢いです。たとえば頭蓋底外科の訓練はどうすれば良いか?などという質問(プロンプトという)を投げかけると、ほぼ即座にごく真っ当な、どこかの学会の重鎮が述べるような項目がかなりたくさん提案されます。当初は日本語版は誤りが多く英語版の方が真っ当な答えを出してくれる状況でしたが、そろそろ言語差は無くなってきたようです。学位論文提出でAI使われたらばどうする?選挙で候補者と全く同じ声・アクセントで偽情報が作れてしまう。漫画やものすごくあり得ない「冬の雪の京都に桜が舞う」なんていう紛れもない写真のような画像も瞬時に作れてしまいます。

ADOBEのFireflyというソフトで作った 桜の咲くスイスの街、雪の京都に桜が咲く絵2種(富士山まで!)

 


 

    このような進歩に我々はどう対処すれば良いのでしょうか?人間の脳とAIの違いは何か?などとつらつら考えます。最近思うのは人間には“3**”という時間が必要なことです。AIはかなりの難問でも適切な質問や依頼条件をだせば瞬時に情報をかき集めてまとめてくれますが、人間には時間とその時間費やした労力が必要だとうことです。

      “3日坊主”という言葉があります。物事の修練を始めて、または面白いことに興味を持っても3日以上その興味が持たないと、人間にはまともにその事例への愛着というか、習慣ができない:という意味なのだろうと思います。なぜ3日なのか?を考えると多分脳の記憶回路や小脳と大脳連携のシナプス構築に3日間くらいの時間を要するのではないかと、昔からの経験をもとに古人が見出したのだろうと思う。本当にそうだなと思う。私もつい先日俳句でも始めようかと、俳句指南書や歳時記、国語辞書などを買い集めたが、興味は3日続かず、身になっていない。でも日本は季節に関わる(季節を示す)言葉がたくさんあるんだな〜〜ということを知ることはできました。

    次に“3ヶ月”という時間について考えます。欧米では年を4つに割ってQuarterと言って、Mayo Clinicの脳神経外科臨床研修でも一人の先生のもとで腫瘍や脊椎・脊髄、血管障害、てんかんなどの機能外科、小児、外傷、頭蓋底部などを各Quarterで学びます。脳外科の父の一人とも言われるG.M. Yaşargil先生は理想の脳外科トレーニングは各解剖部位やコンセプト・手技(皮膚・筋肉・神経、頭蓋脊椎骨、硬膜・くも膜など髄膜、脳脊髄血管、脳実質・白質解剖、脳室、末梢神経、脳脊髄のコンパートメント・セグメントのコンセプト、脳脊髄への手術アプローチ)についてそれぞれ3ヶ月の解剖実習と生理の理解、手技の訓練(剥離と縫合)をすべきとおっしゃっています(Yaşargil先生の言葉と私の感想についてはこちらを参照)。 要は専門分野の知識や技術をつけるためには3ヶ月という時間が必要ということだと思います。ちなみに私の一生のうちで最も幸せで充実していたと思う3ヶ月は1992年の1月から3月の真冬のRochester(-30℃になります)Thoralf M Sundt, Jr教授の1st Assistantをできた期間です。Sundt先生は著名な脳血管外科医で日本にも何度か招かれていましたが、当時Mayo ClinicChairman(主任教授)でした。渡米して最初の挨拶で19894月に教授室に伺った際にド緊張とSundt先生の南部訛りの英語が全く理解できず背中が凍るとはこういうことだと確信しました。先生は1985年に多発性骨髄腫に罹患して予後半年と言われていましたが、不屈の精神で1992年秋まで活躍されました。私が1st Assistantを担当させていただいた前のQuarterはお体の具合が悪くて、また助手もあまり手術がうまくなかったので、ほとんど手術はされなかったのですが、私は英語はダメでも福島孝徳先生仕込の手術技術を持っていた(つもりだった)ので、Sundt先生が「Akioが助手なら手術ができるな、、」ということで3ヶ月間で30症例を超える巨大動脈瘤や困難な動静脈奇形などの症例をこなされた。私が開け閉めしてシルビウス裂(大脳の前頭葉と側頭葉の間の境界)を分けて動脈瘤の頸部のところまで出してSundt先生にクリッピングなどをお願いするという手順で何症例も経験することができました。クリップをかける時のSundt先生の息遣い、威厳さ(Dignitiy)を今でも思い出します。今まであのような迫力・気力を出して手術している人を見たことがありません。外来日にはSundt先生と患者診察に付き添ったのですが、ある日St. Mary病院(入院施設のある病院)からMayo Clinic(外来がある建物)に向かうバスの途中「Akio(南部なまりでエキオと呼ばれます)。俺はなんで病気になったかわかるか?」と問われ、もちろんわかりませんと答えたのですが、「それは昔若い女性の動脈瘤の手術に失敗したからなんだ、、」とおしゃっていました。数千例の脳動脈瘤の手術をされていたSundt先生が1例の失敗で自分の命と引き換えも仕方ないと考えるという「手術への覚悟」に感銘しました。その3ヶ月は私の苦しくも楽しく長い米国生活の中で最も輝いていて、その3ヶ月のために米国で9年間を過ごしたのだとしても悔いはありません。

私にとってのもう一つの重要な3ヶ月はUCAS Japan(未破裂脳動脈瘤の研究です)NEJM(New England Journal of Medicine)への投稿に要した時間です。私がダラダラと論文を書かないでNTT関東病院での臨床に明け暮れていた頃、当時の落合慈院長が、「このままだと別の医者にUCASの結果論文を書かせると桐野教授が言っていたぞ、、!」といわれ尻に火がついて10年以上かけて貯めてきたデータを“3ヶ月”で論文に仕上げ、そしてNew England Journal of Medicineへ投稿し、Editorから“Interesting”と返答され、必死の超膨大なRevisionを超高速で死に物狂でして、Acceptまで辿り着いたのも“3ヶ月”間ででした。「人間3ヶ月必死に頑張れば、生まれ変われる!」と思った瞬間です。(当時のNEJMとのやりとりに興味のある方はこちらを)

     ついで“3年”について考えます。“3年”で思い出すのは様々な(無謀な?)教授選考に落ちまくって、東大助教授からNTT東日本関東病院の部長に就かせていただいた際に、落合院長から「お前 どこかの教授になるつもりなんだろうけど、『石の上にも3年』って言葉知ってるか?何事も成し遂げるには最低3年は必要なんだよ。だから3年はいろよ!」と言ってくださったこと。人間一つの仕事、事業、プロジェクト、たとえば病院のDepartmentに特色を出して自分のDepartmentと言われるようになるには最低3年間が必要ということだったと思います。ちょうど3年ほどたったときにKNI Activitiesこちら)というNTT東日本関東病院脳神経外科2008-9の業績集を出版した時の、落合先生の驚き・喜んでくださった顔が今も思い出されます。我ながら初めて作った業績集ですが、なかなかの出来だったと思います。それを見たのをきっかけに加わってくれたレジデントもいました。何か自分として生きた形を残すとしたら、3年は必要なのだと思います。

     最後は“30年”。これについて日本語の格言などありませんが、30年という期間は、丁度全てのトレーニングにエキスパート・一流になるための時間として言われている10,000時間、10,000日ルールに一致します。特に集中してその時間を修練や学習に充てれば多くはExpertの域に達することができるということです(異論ももちろんあります)Gladwel M。人間の知識・術とそれらの統合で最高レベルに達するには10,000(=30)が必要ということです。医学界でもそれは通用するようで、超早く教授になる方もいらっしゃいますが、日本では教授になるのはおおよそ50歳台で、医師になってほぼ30年たった頃です。その位の期間と経験を積めば、その道で大学での主任を任しても良い人になるということでしょう。教授になるというのは医師としての人生のほんの一例ですが、30年くらい必死で頑張れば、良い医者になれるということかと思います。伊勢神宮では20年で式年遷宮を行うというしきたりがあります。それは技術や知識を世代交代で絶やさないように行なっていることだともいわれます。20年という時間は、知識や技の伝統を受け継ぎ、次代を作るために必要ということです。勝手な解釈ですが、10年間先代の元で修行した人が、先代が遷宮したのちに、20年かかって自分の技を高めてゆき、次の遷宮を担当する。後半の10年は次世代を育てているということかなと思います。各世代の重複時間を作り、30年で成熟する技や知識を最後の10年間で次の世代に引き継ぐために使うということだろうと思います。このような人生の佳境の30年の時間が人の一生の中でとても大事なことと昔から考えられてきたことなのでしょう。

           人間の知識や技は脳や身体が時間をかけて会得してゆくというのが最も大きなAIとの違いだと思います。その時間の間に、その時その時の感情や肉体的感覚と共に、自分の個性や嗜好、信念、夢、発想など付随したものが生まれます。AIもそのうち個性を持ったものができてくると思うし、AI抜きでこれからの社会を生きてゆくのは非効率だと思います。AIに使われるのではなく、うまくAIを使いこなすためには、“3日”、“3ヶ月”、“3年”そして“30年”かけて会得した“自分”と“自信”をしっかりもって生きることが最も大切なのだと信じます。

    文献) Gladwel M: Oulier: The Story of Success  Little, Brown and Company, 2008

    雑談:

    先日ゴールデンウイークに近場の面白そうなところに行ってみようということで、NHKのラジオで栃木の人が紹介していたあわの花農場というところに行ってきました。通常は豊島区の自宅からは1時間ちょっとで行けるはずので、いくらゴールデンウイークとはいえそんなにはかからないだろうと思ってでかけたのですが、大変甘かったです。到着予想時間はどんどん先に先になってゆきます。さっきまで1時間半と出ていたのに、20分たっても時間が減るのではなくさらに伸びて2時間後となり、最後は3時間となってしまいました。途中何度も諦めかけましたし、隣に乗っていた妻は、トイレ休憩等でパーキングに入ろうとしている車の1kmにも及ぶ車列を見て青ざめ始めました。本当になんで日本は皆さんの休みや旅行の時期が重なってしまうのか?うまく分散する方法はないのか?と思ってしまいます。ただ私などは病院と合わせて休み、運営日はいないといけないので、なかなか変更はできないのですが、世の中には働く期日を調整できる職種もあるのではないかと思います。できれば政府にコレコレの職種やこれらの年代の人はこの日を休日にすること!とか決めてくれるとありがたいですね。ゴールデンウイークも1次GW, 2GWとか分けてあるといいですね。

    話がそれました。では花農場はどうだったかというと、足利フラワーパークまで秩序だって大々的ではない(行ったことないですが駐車場が超混みそうだったので立ち寄りませんでした)のですが、ご高齢の女性七名が放棄されていた蒟蒻畑を花農場に変えて、イタリアンシェフの力を借りてレストランも運営しているところです。食事も地野菜たっぷりで、ミントティーも取り立てのカモミールの花とか入っていて、とてもほっこりする場所でした。上記の下腹がゴロゴロしてくるような苦しみを経験しても行ってみた価値はあったと思います。花もざっと種をまいて育てている感じでしたが、素敵な色合いでした。その時に撮った写真と、その翌日に業務の合間に行った新潟の北方文化博物館の藤の花を紹介します。足利フラワーパークの藤は、アバターという映画の第1話に出てきた生命の源とされるEIWAのモデルとされています。新潟の藤も足利ほどではないです、かなり大きくて、本当に大きな藤の下の空間は紫の空気が満ちているように感じます。それに新潟はそんなに混んではいません。素敵なところですので機会があったら足を伸ばしてみることをお勧めします。5月の第1週がベストな時期です。

病院の地域との連携を向上するための活動として、先日当院の事局長や両立支援センター(勤労者の病気治療と仕事の両立を支援する機関です)の担当者たちと大田区役所の鈴木区長、玉川副区長、医療福祉担当の方々を訪ねさせていただきました。私の就任のご挨拶と当院の今後の活動方針を説明させていただき、両立支援センターの紹介、そして予防医療や自転車ヘルメットの装着の徹底の重要性などを強調していただくようお願いしてまいりました。みなさん自転車運転は必ずヘルメットをしましょう!

それと院内に大森第一中学校の生徒さんたちの書道作品を展示させていただきました。もしお時間がありましたら見にいらしてください。若い人たちの元気の良い作品に力をもらえますよ。

写真1:花農場あわの1カモミール、ひなげし、ネモフィラ、矢車草などがたくさん咲いています

 

写真2:花農場あわの2:里山と花

 

写真3:花農場あわのの料理:地野菜たっぷり使った田舎風イタリアン

 


写真4:北方文化博物館(新潟)の藤:藤色の空気を感じます

 



写真5:大森第一中学校の生徒さんたちによる書道作品の展示


 

 

 

 

2024年5月5日日曜日

熊本にて:養生と漢方と。

 

熊本にて:養生と漢方と。

森田明夫

先日熊本の脳神経外科医で漢方医学が好きな先生方にお誘いを受けて熊本脳神経漢方研究会という会にお招きいただいた。私が成り行きで(?)脳神経漢方医学会の常任理事とかいう役割を担っているからだと思うが、実際には私は漢方にそれほど詳しくはない。むしろ料理好きで野菜、カレー、韓国料理、沖縄料理などとも関連して健康に関連する食材、薬膳に興味があるので、それが生薬と繋がって、色々と勉強している最中である。また韓流ドラマが大好きなので、特に歴史物には多くの煎じ薬が出てくるので、とても興味を持っていたわけである。そんな素人が1時間も講演するのだから、決まって内容は、自分がどんな漢方を飲んでいて、患者さんで良く効いた方の例、果てはどんな失敗をしたかなどを中心にお話しした。特に昨年は高齢者健康医学センターの立ち上げに関わって、いかに健康に生きるかを考えていた年でもあるので、それに基づいたBlue Zoneのお話しや、養生の話も織り交ぜた。

養生;といえば日本史を学んだ人であれば養生訓(貝原益軒)という名前に聞き覚えがある方もいるかと思う。貝原益軒は本草学(薬草学)に秀でた黒田藩の侍で、藩医として勤めていたらしい。その本を現代風に解釈した本もいくつか出ているので参照されると良い(齋藤さんとかさんと)。特に心は楽しみ、苦しめないことが重要と説いている。下記のような文があるそうです:「ひとは心を楽しませて苦しめないことがもっともよい。が、身体は大いに動かし労働することがよく、休養しすぎてはいけない。(さんのページから)」また2週ほど前にNHKのラジオまい朝の健康ライフで「養生ですこやかに(伊藤和憲さん講師)」とう番組の放送がされていて。NHKホームページで録音を聴くこともできるので参照されると良い(20245/20~まで)。養生とは「心と身体を保ち命をまっとうすること」。そのためには1)季節に即した暮らし、2)安定した精神の保ち方、3)食事の仕方、4)身体の鍛錬、5)病気の予防・未病という考えが大切だとされています。特に気持ちのストレスのかかりかたを見るには顔の前で前腕を拝むようにして肘までくっつけて持ち上げる。つけたまま肘が口の高さまで上がればストレスなそんなにないそうです。私などこの肘は顎にも届かず、精神がかちんこちんらしい。次は血・水のこと。舌をみて淡いピンク色なら良いが白っぽかったりどどめいろだったりすると、舌は筋肉そのものを見ているので、貧血だったり鬱血していたりしている体の状態らしい。最後に筋肉や体力を見るには指輪っかテストである。両手の親指と人差し指で輪っかを作って、それが右下腿の太いところを簡単に囲めて、隙間があるようであれば、筋力低下、Frailの状態であることがわかる。それぞれにあった体調管理、季節にあった食事や運動の仕方などを講義されていた。この講習の流れはまさしく漢方医学のコンセプトに沿っていた。

漢方医学では特に体調や心の状況に応じて病を見極め、体調を治す治療をしてゆく。西洋医学はデータを見て診断に基づき病気を治療するが、漢方医学は人の体調や症状を見て、その証に応じて診断というより対症療法という形で体調を改善させて病気を追い出すという治療を行う。どちらが優れているというわけではないが、我々西洋医学を学んだものも、漢方医学の体調や心の状態を見極める技が必要だ。それが漢方を勉強する意義かなと思っている。最近は西洋医学の癌治療でも免疫療法が再認識されており、体を強めて、病気を追い出す、または共生するという考え方が普及しつつあるように思う。

さて私の漢方に関する失敗といえば、痩せたいあまり防風通聖散(よく宣伝されているナイシトールZと同じもの)と大黄甘草湯を一緒に飲んでいつも便秘がないように飲みまくっていたので、とうとう大腸メラノーシスとなってポリープまでできるようになってしまったことである。1年間ピッタリと上記2薬をやめるとメラノーシスはまだ治らないが、大腸ファイバーで2年続いたポリープ新生が今年はできずに済んだ。このまま放っておいたら大腸がんでもできてたかもしれないということ。何事も過ぎたるは、、悪!ということです。でも上記を休薬したために体重は、増える一方なのも確かです。食事量を抑えないといけません。

もう一つの失敗は、韓国Seoulにある東大門市場近辺にある元祖薬膳タッカンマリが非常に美味しかったので、漢方薬やら色々混ぜればあんな鍋つゆができるかと思って、キノコの成分がたくさん入っている五苓散を元にスープの元を作ったら、これが非常に不味かったことである。五苓散には桂皮(いわゆるニッキ、シナモン)が入っているので、ちょっと鍋にはそぐわない味となってしまったようである。上記の会の後の懇親の場では、やはり散剤ではなく湯剤(日本の漢方薬には粉のまま飲んで良い散剤とお湯に溶いて飲んだ方が良い(溶かなくても良いが)湯剤がある。)を使えば良かったのでは、、という意見が出た。でも今私が二日酔いどめ(二日酔いの時にも)によく服用している黄連解毒湯などは、苦くて苦くて、鍋には不適だと思う。それやこれや、色々な漢方薬や生薬のお話しをさせていただいた。

口伝や伝統で繋いできた漢方薬の知識にも西洋医学と同様に多くの論文やエビデンスが出始めている。西洋医学の薬は、上記の免疫賦活剤を除けば、何らかの化学反応を抑えることによる薬剤が多い。要は抑制の医学である。一方漢方薬には「補」というコンセプト、足りないものをたすという機能がある。これらのを元にうまく西洋医学の治療に合わせて現在も治療が困難な疾病の治療に役立つ医学が打ち立てられると良いと考える。特に心の健康と体を保つための日常の食生活や運動、精神の安定の保ちかたの訓練、養生訓からそして体調に合わせた適度な(無茶には飲まない)漢方処方と遺伝子診断に基づく西洋医学などを取り合わせれば、健康な人たちがさらに増えて、健康な社会、そして人に優しい社会になるのではないかなと思う。

 

雑談:

ところで特に歴史韓流ドラマでは漢方医学がよく出てくる。東医宝鑑という書物を記した許(ホ・ジュン)という実在人物はこれまでの何度かテレビドラマ化されている。すごく長いが感動を得られるドラマである。秀吉が朝鮮を攻めた頃の話である。東医宝鑑は漢字で書かれているので、頭痛とか川芎茶調散などの文字が読み取れる。またというドラマも最高だ。こちらはフィクション性が高いが、馬の医者があまりに鍼灸の腕がよくて手術までできるようになり、人の医療しまいには皇帝の侍医にまで上り詰めるという話である。チャングムの誓いは料理と韓国ドラマ、、最高の取り合わせで、鮑の肝をおかゆに入れると肝臓に良いなどという話が出てくる。韓国の時代劇にはよく医療の話が出てくる。日本だとせいぜい花岡清州か仁か?というところだが。なぜ日本は時代劇だと戦国の争いの話ばかりなのか?もう少し世相や庶民の話が出てきても良いのではないかな、、と時に思う。

さて熊本についてであるが、先に触れた会の翌日が日曜だったので、今回いくつかしたいことがあった。一つは熊本城が震災で傷んだが天守まで上がれるようになったというので、再訪すること。2つめはNHKの番組で特集されていた細川亜衣さんという料理家の家(細川家の菩提寺の跡:泰勝寺跡)とその雰囲気を見てきたいこと。3つ目は「A列車で行こう」という映画が元(未確認?)で作られた特別車両で天草口まで行くことである。

熊本城はものすごく立派で広大な城でもちろん加藤清正が築いたことで知られている。豊臣秀頼を連れて徳川から守るために作ったとも言われている。西南戦争で新政府が立てこもり西郷が攻めあぐねて、西郷は政府に負けたのではなく加藤清正公に負けたと言ったくらいで、近代の戦争においても頑強な城であったことがわかる。泊めていただいたホテル日航からは素晴らしい城の姿が一望できる。今の天守は西南戦争で消失したため、戦後コンクリートで再建されたものだ。ただ震災で瓦がほぼ全部落ちた時は干物になったようだと熊本の先生方がおっしゃっていた。今は瓦も復元し、石垣も復元中である。あと数10年は復旧にかかるそうである。残念ながら江戸時代のまま残っていた宇土櫓が地震で崩れたので復旧途中とのことである。1周は約5kmで歩くと1時間は要する。本当にものすごい石垣と、そして樹齢数百年の大きな楠木がたくさん城内に見られるのは圧巻であり、熊本城が熊本の人たちの心の拠り所なのがよくわかる。

次に泰勝寺跡に行ってみた。一般公開されているのかもわからなかったが何か陶磁器のイベントのようなものをしていそうだったのはいらせてもらうと、白磁を部屋にずらっと並べてあった。キッチン・厨房ではその日 台湾茶会があるそうで準備をしていた。残念ながら次の予定の時間の関係でそちらは参加できなかったが、今思うと非常に残念だった。細川さんの本「旅と料理」の最初の項が台湾とお茶の話だからである。本当に残念。。ただ泰勝寺跡の周りの森は、すごく静かで森の緑がすごく優しくて、細川さんが熊本からは離れられない。というのがよくわかる。私の後輩(開成・東大)で熊大の脳外科の教授になった武笠先生も家族みんな関東出身だが、熊本は空気、食べ物、教育が良くて、「引退後関東には帰らなくて良いよ」と言われているそうである。いいですね。

最後はA-Train。ジャズのTake The A-Trainの流れる二両編成の素敵なディーゼルカーで熊本から三角への1時間の旅である。一両目には洒落たバーが設置してあって、とても素敵な車内である。車窓からは有明海と宇土からの里山風景が流れます。途中の織田(orita)駅は県内最古の木造駅舎で、20分停車して、地元のジャズバンドがジャズを奏でてくれていました。三角の西港は明治産業遺産として世界文化遺産登録されているらしく古い洋館や護岸があります。ちょっと八朔ハイボールでほろ酔いでしたが、素敵で楽しい1時間でした。ちょっと帰りの列車が遅れて帰京の飛行機に間に合わないかが心配でしたが、楽しい熊本旅。空港で時間がなくて、馬刺しと辛子蓮根を買って帰れなかったのは残念ですが。

 

今回はちょっと小旅行の報告と養生の大切さです。みなさんも楽しく生き生きと生きましょう。養生訓からも「人生楽しむことが肝要」だそうです。

 

防風通聖散に含まれる生薬と効果:ぽっこりお腹に効果ありますが飲みすぎないように

黄連解毒湯に含まれる生薬と効果:二日酔いどめに使ってます

 

 アジアの薬膳料理

 

 

沖縄のイラブー汁

 

 

インドOld Delhiの混沌



インドの料理教室にて

 


 

熊本城:

長塀・飯田丸の大楠(樹齢800年)

ホテル日航からの熊本城・二様の石垣

 


泰勝寺跡(細川亜矢さん厨房)

 


 

A列車で行こう

織田駅にて・三角西港

織田駅のライブ・車内バー


 

 


 


 

Yaşargil先生を偲んで

  Y   Yaşargil 先生を偲んで                                                                                            森田明...