2024年10月8日火曜日

「論語と算盤」から

 

「論語と算盤」から

           森田明夫

    NTT東日本関東病院の元院長落合慈之先生(名誉院長)から渋沢栄一さんの書かれた現在ベストセラー?の「論語と算盤」という本を院長就任のお祝いにといただいた。渋沢さんといえば以前NHKの大河ドラマ「青天を衝け!」の主人公だし、今回の新一万円札の顔である。ほとんどの時代劇ものの大河ドラマは見ているのだが、維新周辺は人間関係が複雑なのと、中高の歴史ではいつもそこまで届いていなかったので、あまりその頃の歴史に馴染みもなく見逃してしまった。また王子にある渋沢記念舘にも行ったことがないので、渋沢さんに関する私の知識は今回の一万円札になった経緯程度の常識的な範囲よりもやや劣る。

    さて件の本であるが、一言で言えば、江戸―明治―大正と活躍した人の実業における道徳・身の処し方に関する考えを様々な事例をあげて書いている手記のような書籍である。幸い守屋淳さんという早稲田大学の先生が現代語に訳してまたその頃の事実関係なども注釈してくれているのでとても読みやすい本である。最初は「明治時代の考え方なんて、古いのだろうな。しゃちこばった格言的なものが多いのかな。」と思っていたのであるが、豈図らんや内容は今でも十分通用する考え方が中心である。産業はもちろん石炭などのエネルギーや綿花といったその頃の日本の内容に沿った内容だが、人の心や決断の成り立ちというのはほとんど変わっていないのだな。と思う。特に人と人の諍いや戦争、宗教に関する考え方など今でもその通りといった内容である。

    なかなか重厚な本でもあるので、中身を全てこなして読み切れているわけではないのであるが、とてもなるほどと思ったのは:

    人間の生き方・心のあり方において非常に重要な要素は「智・情・意」であるという考えかたについてである。知識や経験だけでもだめ、情熱や情愛だけでも物事は進まない、そして最後に意思・意志・志が最後に人を動かす元になるというものである。

    古来孔子の教えから人の生き方には五常が大切であると言われている。「仁・義・礼・智・信」の5つである。それに「忠・孝・悌」が加わって八徳とも言われる。少し組み合わせが異なるものもあるようだが、この8つは南総里見八剣伝の義士たちが持つ玉の文字である。東洋的な考えではあるが、同じような教えはキリスト教でも、イスラム教でも仏教でも共通である。親や兄弟を大切にし、礼儀をわきまえ、人を愛し、忠義を尽くし、信頼のおける、知恵に富む人間となること。が最良とされる。

    そこで渋沢たちは世界の宗教に関わらない一つの道義を打ち立てようと帰一協会という組織・勉強会のようなものを立ち上げたそうである。落ち着く先は西洋でも東洋でも「発言に嘘がないこと。行動が慎み深いこと。この二つを心がければ、野蛮の地にあっても、こちらの主張を実行させることができる。」と言う基本理念である。もちろん歴史的経緯からもこの試みはうまくいっていない。また宗教ごと、また国民性ごとに、一般的道徳の基本は同じだと信ずるが、ニュアンスが多少異なり、誤解を生じていることもある。例えば、日本人は言わなくてもわかっているだろうという常識(これも今回の本の定義は多少違って、人間の生きるべき信条のようなこと)を元に話をするので、ここまで話さないとわからないの?という外国人も多い。米国など多民族国家なので、誰にでもわかりやすい文化・文明が開かれているので、SONYではなく(とても操作が難しい)Macなどの企業が作ったものが大受けするのだろうと思う。日本の器械は説明書を読まないと決して使い始めるべきではないが、欧米の特にアメリカの製品は箱から出したらすぐに使えるようになっているのが常である。欧米人(ドイツ人を除くと)はほとんど説明文書を読まない人間が多いと思う。機械の電源についてもそうで、出荷時にすでに充電してあることも多い(ように思う)。ちょっと話が逸れたが、日本人は「基本話さないでもお互いわかっているでしょ」という常識に基づいているので、「男は黙ってサッポロビール」なんて宣伝が流行る(かなり古いが)、寡黙が美徳とされる文化がある。一方ででは米国ではどうかと言うと。日本人の私が見るからではあるが、米国でも本当に優れた人は無駄口は叩かないと言う印象がある。エセインテリとか、ちょっと自分をひけらかしたい人は余計なことまでしゃべりまくり印象がある。だが日本人は喋らなすぎというのは、前回のブログでも書いたが、韓国を見習って、言うべきことは言う。そして世界に通用する常識をつけて行くことは大事だと思う。

    さてもう一つ西洋の道徳と東洋の道徳で似ていながら、ややニュアンスの異なることがあることに気づいた。キリスト教では「自分がしてほしいことを他人にもしなさい」とある。論語では「自分がしてほしくないことは、人にしない」である。裏返せば同じことを言っているようであるが、能動系と否定系の言葉は意味が違うと思う。要は東洋では、「何もしない=見ざる・言わざる・聞かざる」 が美徳で、欧米ではやってあげることが美徳なのである。日本人ももう少し積極的な態度に出ても良いのかなと思う。

 

    その他にも、本書において、とても気になる言葉が数々あった。

    知行合一

「習慣の感染しやすさ」

    「人生は努力にある」

    「人格は生まれつきか?修練で育めるか?」

    「大きな志と小さな志の調和」

    変えてはいけない志と、それを達成するために修正可能な志のこと。

    「道理のある希望を持て」

「一日を新たな気持ちで」

    「趣味」の意味:「理解することは、愛好することの深さに及ばない。愛好することは、楽しむ境地の深さには及ばない。」それが趣味の極地。

    「常識」の意味:何かをするに極端に走らず、頑固でもなく、「正しい/正しくない」「善い/悪い」を見分け、利益と損失に敏感で、言葉や行動が全て中庸にかなうもの。

    「元気」の意味:浩然の気:「元気というものは至って大きく、至って頑丈。正しい道理によって養うので害になることがない。それは広大な大地の間にも充満する程のものだ」(孟子)

    「運命はあるのか?」

    「失敗のような成功」

    たとえば足利尊氏と楠木正成。菅原道真と藤原時平。どちらが当時の成功者で、どちらが今の成功者か?    それらの歴史的背景を見ても、成功のように見えても、将来は失敗になるかもしれないし、ゴッホのように亡くなってからその価値が大いに評価される人もいる。即時的な成功を目指すこと自体は正しいことだが、もしうまくいかなくても、努力さえして、自分のできる限りのことをしていれば、何も不甲斐なく思う必要はないということを下記の言葉に集約している。

「成功と失敗は、自分の身体に残ったカス」

「細心にして大胆であれ」

「人事を尽くして天命を待つ」

それぞれの細かい解説は本書を読んで欲しい。

現在はComputerによって、海外はてや宇宙とも瞬時に繋がるし、AIによって膨大な計算や予測も瞬時に建てられるようになってきている。グローバル化の大波である。スピード感は多少異なるかもしれないが同じように感じることがこの本が書かれた明治・大正時代に起こっている。数ヶ月かかっていた航行距離・時間がスエズやパナマの運河の開通によって格段に世界が近くなった時期である。商売も政治も思想も世界を基準に考えなくてはいかない時代であった。その頃の教訓は今でも十分通用することを知った本だった。

 

雑談:

先日40数年の脳神経外科医人生の中で初めて土佐の高知で脳腫瘍の学会があった。内視鏡の手術の進歩やさまざまなDISCUSSIONがとても興味深かった。

Google mapでどこか散歩に適したところはないかと探していたところ、高知市の南東に五台山という山があり、竹林寺という四国31番目の札所がある。その境内の半分をNHK連続テレビドラマらんまんでモデルとなった牧野富太郎博士の遺言で大きな植物園ができているのを知った。素敵な植物園で、展示室には牧野さんの生い立ちや業績、生活、言動を紹介する展示、そして牧野さんの植物書のイラストを担当した山田壽雄さんの植物画の展示もされていた。

広大な庭園には高知の植物はもとより、大きな温室もあり熱帯・亜熱帯の植物の展示もある。急に植物に興味を持ってしまう気持ちを抱かせる世界に誇れる植物園だった。中でも今回は特別展示だが、山田さんの精緻な植物のイラストは素晴らしかった。

翌日早朝には、焼失を免れ現存する天守のある城12のうちの一つ高知城にも登った。早朝だったので残念ながら城内には入れなかったが、石垣は野面積である(規則正しい四角い整形された石を積むのではなく(切り込み接義・江戸城が代表)、自然の形に近い石を工夫して大小取り合わせて組む石垣)雨が多い地区なので、石垣内から水が排出できる樋のような構造が作られていた。先日大雨で垣が崩れた松山城のことを思い出した。松山城はこのような構造はなかったのかもしれない。高知県民にとっては、松本城や犬山城が国宝でこちらが重要文化財止まりのはなぜ?という疑問(不満)があるらしいが、しっかり昔の城が残っていることに先ほどの成功と失敗ではないですが、一時数十円で売りに出された城を無駄な経費をかけても残そうとした人たちの努力に頭が下がる。目先の開発に目が眩んで、新しい箱物を作ってしまった地域も多いのではないかと思う。今もそんな話を少し聞くところもある(明治神宮外苑とか?)。特に城主が人気のなかったところでは取り壊された城も多かったのではないかと思う。山内家や長宗我部家(元は秦氏という家系らしく聖徳太子の時代に遡る豪族の系統)は今での高知市内の多くのところで情報が掲示されているし、名前をとった銘菓やお酒もある。人気のあった城主だったからこそ、後世にそのシンボルがのこされたのだろうと思う。また牧野さんもその人柄と業績の偉大さから、寺院も土地を供給し、壮大な植物園を県が維持してくれているのだろうと思う。人生の盛衰の意味について考えさせられる学会出張でした。

 

 論語と算盤 と 新一万円札 
 
高知県立牧野富太郎植物園
 
  山田壽雄の植物画 
 
 温室と富太郎の採取標本
 
 
高知の美味しいもの(ジャンばら貝、カツオの塩叩き、枝前塩焼き、ごめん電車) 

  
高知城と石垣

     

 

2024年9月11日水曜日

韓国医療界の今

 

     韓国医療界の今

       東京労災病院 森田明夫

      

       先日韓国で脳神経外科の脳血管障害と脊髄・脊椎疾患の国際学会が連日であり、両方に招待されたので、約8年ぶりに韓国ソウルを訪ねた。韓国の脳神経外科は血管障害も脊髄も日本に追いつけというよりも、目は欧米を見ており、とても進んでいる。脊椎のロボット手術は日本では保険償還がないためほとんど進んでいないが、韓国ではYonsei大学やソウル国立大学かなりの施設が導入している。人口がソウルとその周辺の大田などにかなり集中(全人口の1/2位)しているので、大病院に集中するという傾向が強く、日本のように数百床規模の病院が乱立ということはなく、欧米型の数千床規模の病院に集約した医療を行っている。大学の教授も同じ脳外科でもたくさんいて、血管障害や腫瘍、脊髄、小児などそれぞれの専門家が集団を作っており科の主任教授は2年〜数年に一回ずつ交代してゆくというシステムである。お年の先生も含めて、英語がとても上手で、脊髄・脊椎の学会は国内の学会も含めて、全て英語で進められていた。ほとんどの先生が欧米への留学経験がありあまり言葉に困ることはないらしい。

       さて、今回の学会では、会長講演の代わりに現在韓国の医療界には激震が走っているという内容の特別公演があった。ユン現大統領及び韓国の厚生省が医学生募集定員を今の年間40医学部3000人強から(日本は82校で約9000人)2000人増員するすなわち今の1.6倍の人が医師になるという政策を打ち出し、医学部や医師会などの医療界には相談せず決めてしまったのである。その理由は日本と同様の医療の偏在、医師の診療科の偏りである。日本でも今非常に問題になっているのが、美容外科に大学医局や外科を経ずなる人たちが増えていること。よく知られている通り韓国は美容外科が古くから有名であり、外科や救急、小児、産婦人科などエッセンシャルな医療に必要な診療科を選ぶ医師が日本よりも少なくなってしまっている。当然医師や医学部学生は猛反発し、現在医学生の75%(14,000人)が休学中、研修・専攻医は80%(約10,000人)が仕事ボイコットから始まって、退職してしまったそうである。ストライキどころか退職である。また医学部学長や教授陣もこぞって反対の意思を政府に告げたが、全く反応はなく、教授の中にも退職が始まったそうである。一方でそうなれば、研修医がいなくなるので、上級スタッフが当直業務、救急業務をしなくてはならなくなる。手術の手伝いもなく、教授同士で手洗いして手術を相互に補助したりなんてことをしているそうである。まだ本当の意味で、医療危機になっているのかは不明だが、このまま続けばやがて救急医療の不備、日常診療にも影響が及んでくるだろう。政府は政府で、休学している医学生は退学、退職した研修医からは医師免許剥奪を検討中とのことである。日本で同じことが起こったらどうだろう。1960年代後半の日本の大学での学園紛争は、無給医の問題とインターンの問題から発生したと言われ、多くの医学生がストに参加して医学生をやめたり、就職を拒否したりなどという今の韓国と同じようなことがあったという。しかし今の日本の医師たちは同じリアクションをするだろうか?多分しない。自分も含めて今の日本の医師たちは、政府の言うことをおとなしく聞いてゆく従順な態度をとるのではないかと思う。現在の日本の医療にも、働き方改革、研修のシーリング問題、そして診療報酬による政府主導の医療のあり方の否応なしの方向づけに対して、多少の抵抗はあるもの、なんとか個別に対応しようと努力をしている状態である。また医師数に関しては、故小川彰先生(岩手医科大学)が新規医科大学の設立には猛反対していらしたが、結局2つ新設医大が作られているし、大学も多くの地域枠という名目で10~20%の増員をしているという状況である。このような中、日本でも医師の偏在化、“直美(チョクビ)”と言われるノルマである必修の臨床研修を終えると直接湘南美容外科などに就職する人が増えている、などという問題が多く発生している。外科医の減少が危険値に達している。

       話を韓国に戻すと、彼らは今でも、50~60年前の日本と同じような若い感情を持っているというか、情熱を持っているのかなと思う。医療の進歩、医療への熱気というのも学会を見ているとよくわかる。日本の学会では質問というと、特に英語主体の学会でも、また日本語でする学会でも質問はせいぜい1~2件であるが、韓国では今回も一つのセッションで討論時間を30分以上とっているのであるが、時間が足りないほどの質問がくる。それくらい熱心である。

日本の今の医療がダメだというわけではない。日本の医療は成熟し、当たり前のことを当たり前にする時代と皆が認識してしまっているのではないかと思う。要は医師等(他の医療職もそうかもしれない)の意識が「これ以上はない。」という驕りのような感情に満ちてしまっているのではないかと思う。少しでも新しいこと、少しでも患者や社会に良いことをするためにはどうしたら良いかという情熱を持ってゆかないと、日本の医療も経済と同じように停滞してしまうのではないかと危惧している。自分たちの体だって、皮膚も、消化管も血液も毎日入れ替わっている。どんなに成熟した医療・科学・社会にも、その時々の進歩に合わせて新しいことはある。昨日の自分と今日の自分、明日の自分は違う。いつも新しい何かを求めてゆく気持ちを持ってゆくべきだと思う。

 

雑談:

などと、韓国の医師たちの若々しい、猛き気持ちを見て、日本も気持ちの若返りが必要だなと思った次第。

さて、昔から私は韓国は大好きで、食事をはじめとして歴史、文化、風景、そしてドラマ。今までに実際に訪れられたのは5〜6回くらいでしょうか。食事と言えば韓国=焼肉というほど日本では有名になったが、それ以上にもっとズーート美味しい鳥の料理(タッカンマリや参鶏湯)や豚の料理(サンギョプサルやポッサム)、また日本でも韓国レストランは野菜がたくさん出る方だが、韓国でレストランでテーブルにつくと頼む前からたくさんの小皿に盛られた野菜や小魚、なんだかわからないものまで出てくる。特に田舎のレストラン(釜山とか慶州とか)に行くと、ものすごい数のお皿が並ぶ。英語はもちろん通じないが、身振り手振り(隣の人の食べてるものを指差しであれと頼む)と“ビールジュセヨ!”ができればなんとかなる。まあ今であればポケトークとかスマホのアプリで翻訳使えばなんとかなる。野菜で豚肉を挟んで食べるサンギョプサルも日本でも最近流行り出したが、韓国のものは野菜の量が半端ない。風景や建物も何か懐かしさを感じる。屋根は日本の建物と比べると屋根が反り返っているが、立ち並び方、土塀や瓦を埋めた塀、ドラマの見過ぎかもしれないが、とても懐かしく感じる。多分私は以前の人生は韓国人だったのかとも思うくらいである。韓国語を聞いて、韓国の風景や文物を見ると「萌え〜^」っとしてしまう。ドラマはもっと大変で、一昨年かにハマりにハマった愛の不時着とかビンチェンツオ。ウ・ヨンウ弁護士は天才肌。その前はトッケビ、それより前は、トンイ、イサン、太陽を抱く月、イルジメ、さらに遡れば、Dream high, ホジュン、馬医、チャングムの誓い、元は冬ソナなどなど。どれも見出すと止まらない。これらのドラマも今はNetFlixとかで継続してみれるようになってしまったので、非常に体に悪いので(週末寝ないで見てしまう=週末眠れない)、流石に最近は頻度を減らしている。ただ世界でも評判になったパラサイト半地下とかイカゲームとかはあまりにも残酷なので見ないようにしている。

 

韓国ファンの独り言でした。

 

写真集

 

                                        韓国医療界の現状・発表スライドから
                                                 

  
韓国で発表と宴会!? 
 
昌徳宮 槿は韓国の国花です
 
韓国の屋根
 
韓国のとびきり美味しいもの1
 
韓国のとびきり美味しいもの2タッカンマリ・参鶏湯・ビビンバ(全州)
 
 

 

2024年8月2日金曜日

医療連携懇話会を開催しました

 

    さる731日に東京労災病院医療連携懇話会2024を西蒲田のプラザアペアで開催しました。53連携医療機関の関係者93名に出席していただき、とても和やかな雰囲気で開催することができました。当日は突然の豪雨で京浜東北線が止まってしまうなどということがありましたが、ほぼ予定通りのご出席をいただきました。

大変お忙しい中、また足元の悪い中、ご出席いただいた方々に感謝いたします。

自分がまずスライドを使って当院の75周年、これからの当院の1つの目標に向かった3つの対策についてお話させていただき、その後診療科紹介として呼吸器センター、消化器外科、脳神経外科・脳卒中センターについて、各科部長(穴見、小林、加藤部長)にお話いただきました。

    引き続いて懇親の部では、大森医師会の水野会長、田園調布医師会の内山会長、蒲田医師会の前前会長である熊谷先生に一言ご挨拶をいただき、新井副院長の発生で会を開催しました。多くの先生方とご挨拶させていただき実りの多い会であったと思います。

医事課や医療連携室、その他事務の人たちや関係者の努力に頭が下がります。

私の当院紹介や各科の紹介は時間を見てYoutubeで紹介させていただこうと思います。

地域医療機関との連携は、病院の活力を維持するためにとても大事であることをつくづく感じています。趣向を変えて、介護施設や歯科・薬剤、在宅医療の先生方とも新たな連携の会を開催することも検討しています。

病院が地域に開かれた施設となるよう努力をしてゆこうと思います。

 

以上、先日の会の報告でした。

今は夜間から早朝にかけては、連日のオリンピック@パリでの日本人の活躍が素晴らしいですね。一方でぜひ勝ってほしかった池江さん、阿部詩さん、江村美咲さんが期待されていて結果が出せなかったのは、本当に心が痛いくらいでした。色々コメントが載せられていましたが、池江さんのコメントが最も心に刺さりました。

「なんのために今日まで頑張ってきたのだろうと、そういう気持ちです。」

絶対そんなことはないと思います。彼女がオリンピック代表の座を勝ち取った時、あの痩せた姿で筋トレを頑張っている姿が、思い出されて私ですら泣きました。多分日本中の病気で苦しむ人たちにものすごい力強さでエールを送ってくれていたと思います。

ぜひ切り替えて今後も力落とすことなく頑張ってもらいたいと思います。

 

 

 講演会



懇話会

 


 


 

雑談:今回の雑談は大田区名所探訪です。すでにろうさいラウンジの方にちょっと紹介しましたが、大田区にも、色々な名所旧跡があります。

労災病院から車で10分程度のところに東京港野鳥公園があります。大田市場の北の埋立た湿地帯に作られています。いくつかの池(淡水、海水)と堰き止められた湿地、樹木地などがあり、大都会の真ん中にあるものすごく静かな佇まいの公園です。駐車場も無料で、高齢者(>65)は年間パスポートが600円です。たくさんの野鳥がおり、私は真っ白な大さぎ、ムクドリ、カルガモ、鵜、カワセミなどを見ることができました。園内にはすごい望遠レンズのついた本格的なカメラを持った本職か趣味人かわかりませんが、男女問わずたくさんいて、お仲間らしく色々な話をしながら野鳥の居場所などの情報交換などをしていました。観察小屋といういわばお城の攻撃窓みたいな野鳥から人が見えないようになっている小屋の細い窓から野鳥の生態を観察できます。今回はカワセミが見たくて行ったのですが、最後の小屋で見ることができました。瑠璃色の小さな、すごく綺麗な鳥でした。3羽が戯れて飛んでいました。鵜も鵜飼は見たことありましたが、野生の鵜が集団でいる姿は圧巻ですし、良い時間を過ごせました。都会の真ん中に別世界があります。公園にはレンジャーがしっかりいて、季節ごとの鳥や虫、その他の案内をしてくれます。(レンジャーのブログはこちら

先月は本門稲荷にも参りましたが、この紹介はすでにラウンジにも掲載しましたので、ご覧ください。どちらにもかなりの樹齢の大楠やシダジイがあります。今後も色々なところを巡ってご紹介したいと思います。大田区居酒屋探訪記もそのうちに。

 


 




2024年7月6日土曜日

余生とはいつからをいう蝉時雨

 

余生とはいつからをいう蝉時雨

森田明夫

 

先日NHKラジオ深夜便で、薮光生さんという全国和菓子協会の専務理事の方を交えての「わたし終(じま)いの極意(和菓子で心の栄養を)」と題した番組があった。私は元々甘いものをそんなに食べないので、「和菓子か〜〜〜」という気持ちで半分寝ながら(朝4時台の番組なので)聞いていたのだが、内容がすごくてどんどん目が覚めてきてしまった。もしこの話をもう一度聞けるのであれば聞きたいくらいである。

薮さんは元々建築業界にいたが、会社が潰れてしまって、ゆっくりしようかと思っていたところ彼が以前書いた業界再建の文章が、和菓子協会の虎屋の社長さんたちの目に止まって、和菓子業界の再建を望まれ請われて今の役職についたとのことである。全く違う領域の再建を願われるのだからものすごく勉強したと思うが、本当に凄まじい行動力である。和菓子の原料である豆や砂糖のことの知識を突き詰め、毎日毎日餡を作って家族で食べたそうである。

薮さんの和菓子関係の書籍には豆や砂糖と日本、世界の食文化に関する知識も豊富に書かれている。豆が好きな人にはたまらない。

 

さて番組の内容であるが、非常にうとうとと聞いていたので断片的なのはご容赦いただきたい。

まず年齢が80歳越えであるが、声の張りと話の内容がすごい。日々努力しているんだろうな、、という感じだ。

建築業界から和菓子の業界のトップの上り詰めるのに、何が大切だったかというと、「いつも興味を失わないこと」と「なぜを繰り返すこと」だそうである。なぜそうする、なぜそこでこうする、、、と質問攻めにする。和菓子の専門家の説明でも彼は質問攻めにするので、「薮さんの質問は後にして」 とよく言われたそうである。

私ども業界の手術に関しても、今までは「見て盗め」と言われていたが、何故そうするのか?を質問することが、技の知識化の重要とされる。先日聞いた学会発表で神戸大学の先生が専攻医の先生に全ての手術で3つの質問を考えておくようにしていて、手術後にそのことを復習しているそうである。AAR(アフターアクションレビュー)という目標を達成するための改善法だそうである。何故をもつことが脳神経外科の手術を学ぶ上での重要だということである。薮さんはそれを昔から自分で実行して和菓子についての本を何冊も著すくらいの知識を得たということである。

人間の能力は計り知れない、努力をすればするだけ進歩するということを体現してきた。何か新しいことを成し遂げたいのであれば、毎朝30分早めに起きて、できるようになるまで、続ける。ということ。餡を作るのも、何かを勉強するのも毎朝30分早起きしてやっていたそうである。常に一生懸命な姿勢を崩さないということが大事とのことである。

 

さて話の主題であった終活についてであるが、薮さんの終活は、65歳を過ぎた日から、週末の土日は全て奥さんに捧げた?そうである。それまでは自分が彼女を振り回していたので、65歳以後は奥さんがしたいということを毎週末しているそうである。絶対服従だそうである。奥様が行きたいところについてゆき、したいことを一緒にする。奥様は「今が一番幸せ」と言っているそうである。

そんな生き方もあるな。と思う。なかなか安月給の自分達にはあまりできることではなくて、まだ週末はバイトがてらの業務や学会などに顔を出している自分からはなんとも、羨ましいというか、できないな〜〜と思うが、75歳以降はそうするか、その頃は歩けなくなってしまっているか?などつらつら考える。

なかなか薮さんの言葉や考えについては和菓子専門の本以外に良い資料が見つからなかったのだが、ホームページを渉猟していたら、豆・豆料理探求家の五木のどかさんという人の書いたインタビュー記事を見つけた。薮さんの考え方や人生についてもう少しまともな情報が欲しい方はこの記事を読まれると良いと思う。

全国和菓子協会薮光生専務理事を訪ねて

その記事に次のような言葉があった。“薮さんは「知行合一」という言葉を大切にしているそうである。「知れば必ず行う、知ることと行うことは必ず一緒に進み、行わざるは真に知らざるものである。知は理想であり、行は実現である」。「なるほどと思ったら、まず実行。すると良い結果が生まれ、失敗してもそこから何かを学ぶ。その学びをさらに実行すれば、必ず良い結果がでる」という陽明学に基づく教え。”だそうである。

 

そして上記のラジオ番組の最後にアナウンサーが薮さんの終活についての言葉を問われて出したのが、このブログのタイトルである。「余生とはいつからをいう 蝉時雨」

 

この年になると、人生は拡大路線ではなくだんだん縮小路線に入ってくる。いつまでも若い気であれば、新しい知識や技を身につけられるし、人間には努力によって限界はないんだ!という本当に元気が出る番組でした。毎朝30分早起きして!なんて思いましが、実行できたのは3日坊主でした。意思が弱い。

もし本番組の再放送があったら皆さんも聞いて欲しいと思います。深夜・早朝ではなく普通の時間帯に流して欲しいですね。

 

ちょっと今は色々なことに限界を感じながら毎日を過ごしているので、少し元気になった時間・お話の紹介でした。

 

文京区千駄木・日本医科大学の隣にある一路庵。2月から前の年に塩漬けした桜の葉っぱがあるときだけ供される桜餅と、同じ時期に出される草餅。どちらも非常に美味しくて、毎回あるときは買って帰ります。
 

 

 

雑談:

6月には週末を利用して、以前感動した奥入瀬の奥にある蔦温泉の脇にある蔦沼を訪れました。早朝6時半ごろに沼に行くと、し〜〜〜んとした湖面に赤倉岳という山が映り、ものすごくぶなの新緑が綺麗です。微かになく小鳥の声に囲まれて、自然の中にたった一人という感じです。昨今の熊出没情報が怖かったのですが、熊に引っかかれることなく戻ってきました。そういうたった20分くらいの時間でも生まれ変われる気がしますね。

できたら紅葉の季節にも行ってみたいですが、ものすごく混むようです。

青森編でした。

ついでですが、中学生の頃から行きたかったのですが、かなっていなかった中尊寺の金色堂も観てきました。昔奥州で産出する金で奥州藤原氏が建てられたのですから、金の価値って昔もすごかったんだなと思います。頼朝の頃の作られた素晴らしい芸術品が現存しています。日本ってものすごいなと思います。

 


 蔦温泉の近くにある蔦沼。湖面に映る赤倉岳。6月はものすごい緑です。

 

中尊寺金色堂覆い堂です。中に とても綺麗な御堂があります。

 

 

2024年6月1日土曜日

自分を作るための"3**"という時間

 

    自分を作るための“3**”という時間

                                                             東京労災病院 森田明夫

    今回の文章は、脳神経ジャーナルという脳外科雑誌の「温故創新」というコラムに寄稿したものを改変したものです。

           近年のAIの発展は目覚ましいものがあります。特に2022年初頭からの生成AI Chat GPTの公開以来 「これはどうなってしまうの?」という勢いです。たとえば頭蓋底外科の訓練はどうすれば良いか?などという質問(プロンプトという)を投げかけると、ほぼ即座にごく真っ当な、どこかの学会の重鎮が述べるような項目がかなりたくさん提案されます。当初は日本語版は誤りが多く英語版の方が真っ当な答えを出してくれる状況でしたが、そろそろ言語差は無くなってきたようです。学位論文提出でAI使われたらばどうする?選挙で候補者と全く同じ声・アクセントで偽情報が作れてしまう。漫画やものすごくあり得ない「冬の雪の京都に桜が舞う」なんていう紛れもない写真のような画像も瞬時に作れてしまいます。

ADOBEのFireflyというソフトで作った 桜の咲くスイスの街、雪の京都に桜が咲く絵2種(富士山まで!)

 


 

    このような進歩に我々はどう対処すれば良いのでしょうか?人間の脳とAIの違いは何か?などとつらつら考えます。最近思うのは人間には“3**”という時間が必要なことです。AIはかなりの難問でも適切な質問や依頼条件をだせば瞬時に情報をかき集めてまとめてくれますが、人間には時間とその時間費やした労力が必要だとうことです。

      “3日坊主”という言葉があります。物事の修練を始めて、または面白いことに興味を持っても3日以上その興味が持たないと、人間にはまともにその事例への愛着というか、習慣ができない:という意味なのだろうと思います。なぜ3日なのか?を考えると多分脳の記憶回路や小脳と大脳連携のシナプス構築に3日間くらいの時間を要するのではないかと、昔からの経験をもとに古人が見出したのだろうと思う。本当にそうだなと思う。私もつい先日俳句でも始めようかと、俳句指南書や歳時記、国語辞書などを買い集めたが、興味は3日続かず、身になっていない。でも日本は季節に関わる(季節を示す)言葉がたくさんあるんだな〜〜ということを知ることはできました。

    次に“3ヶ月”という時間について考えます。欧米では年を4つに割ってQuarterと言って、Mayo Clinicの脳神経外科臨床研修でも一人の先生のもとで腫瘍や脊椎・脊髄、血管障害、てんかんなどの機能外科、小児、外傷、頭蓋底部などを各Quarterで学びます。脳外科の父の一人とも言われるG.M. Yaşargil先生は理想の脳外科トレーニングは各解剖部位やコンセプト・手技(皮膚・筋肉・神経、頭蓋脊椎骨、硬膜・くも膜など髄膜、脳脊髄血管、脳実質・白質解剖、脳室、末梢神経、脳脊髄のコンパートメント・セグメントのコンセプト、脳脊髄への手術アプローチ)についてそれぞれ3ヶ月の解剖実習と生理の理解、手技の訓練(剥離と縫合)をすべきとおっしゃっています(Yaşargil先生の言葉と私の感想についてはこちらを参照)。 要は専門分野の知識や技術をつけるためには3ヶ月という時間が必要ということだと思います。ちなみに私の一生のうちで最も幸せで充実していたと思う3ヶ月は1992年の1月から3月の真冬のRochester(-30℃になります)Thoralf M Sundt, Jr教授の1st Assistantをできた期間です。Sundt先生は著名な脳血管外科医で日本にも何度か招かれていましたが、当時Mayo ClinicChairman(主任教授)でした。渡米して最初の挨拶で19894月に教授室に伺った際にド緊張とSundt先生の南部訛りの英語が全く理解できず背中が凍るとはこういうことだと確信しました。先生は1985年に多発性骨髄腫に罹患して予後半年と言われていましたが、不屈の精神で1992年秋まで活躍されました。私が1st Assistantを担当させていただいた前のQuarterはお体の具合が悪くて、また助手もあまり手術がうまくなかったので、ほとんど手術はされなかったのですが、私は英語はダメでも福島孝徳先生仕込の手術技術を持っていた(つもりだった)ので、Sundt先生が「Akioが助手なら手術ができるな、、」ということで3ヶ月間で30症例を超える巨大動脈瘤や困難な動静脈奇形などの症例をこなされた。私が開け閉めしてシルビウス裂(大脳の前頭葉と側頭葉の間の境界)を分けて動脈瘤の頸部のところまで出してSundt先生にクリッピングなどをお願いするという手順で何症例も経験することができました。クリップをかける時のSundt先生の息遣い、威厳さ(Dignitiy)を今でも思い出します。今まであのような迫力・気力を出して手術している人を見たことがありません。外来日にはSundt先生と患者診察に付き添ったのですが、ある日St. Mary病院(入院施設のある病院)からMayo Clinic(外来がある建物)に向かうバスの途中「Akio(南部なまりでエキオと呼ばれます)。俺はなんで病気になったかわかるか?」と問われ、もちろんわかりませんと答えたのですが、「それは昔若い女性の動脈瘤の手術に失敗したからなんだ、、」とおしゃっていました。数千例の脳動脈瘤の手術をされていたSundt先生が1例の失敗で自分の命と引き換えも仕方ないと考えるという「手術への覚悟」に感銘しました。その3ヶ月は私の苦しくも楽しく長い米国生活の中で最も輝いていて、その3ヶ月のために米国で9年間を過ごしたのだとしても悔いはありません。

私にとってのもう一つの重要な3ヶ月はUCAS Japan(未破裂脳動脈瘤の研究です)NEJM(New England Journal of Medicine)への投稿に要した時間です。私がダラダラと論文を書かないでNTT関東病院での臨床に明け暮れていた頃、当時の落合慈院長が、「このままだと別の医者にUCASの結果論文を書かせると桐野教授が言っていたぞ、、!」といわれ尻に火がついて10年以上かけて貯めてきたデータを“3ヶ月”で論文に仕上げ、そしてNew England Journal of Medicineへ投稿し、Editorから“Interesting”と返答され、必死の超膨大なRevisionを超高速で死に物狂でして、Acceptまで辿り着いたのも“3ヶ月”間ででした。「人間3ヶ月必死に頑張れば、生まれ変われる!」と思った瞬間です。(当時のNEJMとのやりとりに興味のある方はこちらを)

     ついで“3年”について考えます。“3年”で思い出すのは様々な(無謀な?)教授選考に落ちまくって、東大助教授からNTT東日本関東病院の部長に就かせていただいた際に、落合院長から「お前 どこかの教授になるつもりなんだろうけど、『石の上にも3年』って言葉知ってるか?何事も成し遂げるには最低3年は必要なんだよ。だから3年はいろよ!」と言ってくださったこと。人間一つの仕事、事業、プロジェクト、たとえば病院のDepartmentに特色を出して自分のDepartmentと言われるようになるには最低3年間が必要ということだったと思います。ちょうど3年ほどたったときにKNI Activitiesこちら)というNTT東日本関東病院脳神経外科2008-9の業績集を出版した時の、落合先生の驚き・喜んでくださった顔が今も思い出されます。我ながら初めて作った業績集ですが、なかなかの出来だったと思います。それを見たのをきっかけに加わってくれたレジデントもいました。何か自分として生きた形を残すとしたら、3年は必要なのだと思います。

     最後は“30年”。これについて日本語の格言などありませんが、30年という期間は、丁度全てのトレーニングにエキスパート・一流になるための時間として言われている10,000時間、10,000日ルールに一致します。特に集中してその時間を修練や学習に充てれば多くはExpertの域に達することができるということです(異論ももちろんあります)Gladwel M。人間の知識・術とそれらの統合で最高レベルに達するには10,000(=30)が必要ということです。医学界でもそれは通用するようで、超早く教授になる方もいらっしゃいますが、日本では教授になるのはおおよそ50歳台で、医師になってほぼ30年たった頃です。その位の期間と経験を積めば、その道で大学での主任を任しても良い人になるということでしょう。教授になるというのは医師としての人生のほんの一例ですが、30年くらい必死で頑張れば、良い医者になれるということかと思います。伊勢神宮では20年で式年遷宮を行うというしきたりがあります。それは技術や知識を世代交代で絶やさないように行なっていることだともいわれます。20年という時間は、知識や技の伝統を受け継ぎ、次代を作るために必要ということです。勝手な解釈ですが、10年間先代の元で修行した人が、先代が遷宮したのちに、20年かかって自分の技を高めてゆき、次の遷宮を担当する。後半の10年は次世代を育てているということかなと思います。各世代の重複時間を作り、30年で成熟する技や知識を最後の10年間で次の世代に引き継ぐために使うということだろうと思います。このような人生の佳境の30年の時間が人の一生の中でとても大事なことと昔から考えられてきたことなのでしょう。

           人間の知識や技は脳や身体が時間をかけて会得してゆくというのが最も大きなAIとの違いだと思います。その時間の間に、その時その時の感情や肉体的感覚と共に、自分の個性や嗜好、信念、夢、発想など付随したものが生まれます。AIもそのうち個性を持ったものができてくると思うし、AI抜きでこれからの社会を生きてゆくのは非効率だと思います。AIに使われるのではなく、うまくAIを使いこなすためには、“3日”、“3ヶ月”、“3年”そして“30年”かけて会得した“自分”と“自信”をしっかりもって生きることが最も大切なのだと信じます。

    文献) Gladwel M: Oulier: The Story of Success  Little, Brown and Company, 2008

    雑談:

    先日ゴールデンウイークに近場の面白そうなところに行ってみようということで、NHKのラジオで栃木の人が紹介していたあわの花農場というところに行ってきました。通常は豊島区の自宅からは1時間ちょっとで行けるはずので、いくらゴールデンウイークとはいえそんなにはかからないだろうと思ってでかけたのですが、大変甘かったです。到着予想時間はどんどん先に先になってゆきます。さっきまで1時間半と出ていたのに、20分たっても時間が減るのではなくさらに伸びて2時間後となり、最後は3時間となってしまいました。途中何度も諦めかけましたし、隣に乗っていた妻は、トイレ休憩等でパーキングに入ろうとしている車の1kmにも及ぶ車列を見て青ざめ始めました。本当になんで日本は皆さんの休みや旅行の時期が重なってしまうのか?うまく分散する方法はないのか?と思ってしまいます。ただ私などは病院と合わせて休み、運営日はいないといけないので、なかなか変更はできないのですが、世の中には働く期日を調整できる職種もあるのではないかと思います。できれば政府にコレコレの職種やこれらの年代の人はこの日を休日にすること!とか決めてくれるとありがたいですね。ゴールデンウイークも1次GW, 2GWとか分けてあるといいですね。

    話がそれました。では花農場はどうだったかというと、足利フラワーパークまで秩序だって大々的ではない(行ったことないですが駐車場が超混みそうだったので立ち寄りませんでした)のですが、ご高齢の女性七名が放棄されていた蒟蒻畑を花農場に変えて、イタリアンシェフの力を借りてレストランも運営しているところです。食事も地野菜たっぷりで、ミントティーも取り立てのカモミールの花とか入っていて、とてもほっこりする場所でした。上記の下腹がゴロゴロしてくるような苦しみを経験しても行ってみた価値はあったと思います。花もざっと種をまいて育てている感じでしたが、素敵な色合いでした。その時に撮った写真と、その翌日に業務の合間に行った新潟の北方文化博物館の藤の花を紹介します。足利フラワーパークの藤は、アバターという映画の第1話に出てきた生命の源とされるEIWAのモデルとされています。新潟の藤も足利ほどではないです、かなり大きくて、本当に大きな藤の下の空間は紫の空気が満ちているように感じます。それに新潟はそんなに混んではいません。素敵なところですので機会があったら足を伸ばしてみることをお勧めします。5月の第1週がベストな時期です。

病院の地域との連携を向上するための活動として、先日当院の事局長や両立支援センター(勤労者の病気治療と仕事の両立を支援する機関です)の担当者たちと大田区役所の鈴木区長、玉川副区長、医療福祉担当の方々を訪ねさせていただきました。私の就任のご挨拶と当院の今後の活動方針を説明させていただき、両立支援センターの紹介、そして予防医療や自転車ヘルメットの装着の徹底の重要性などを強調していただくようお願いしてまいりました。みなさん自転車運転は必ずヘルメットをしましょう!

それと院内に大森第一中学校の生徒さんたちの書道作品を展示させていただきました。もしお時間がありましたら見にいらしてください。若い人たちの元気の良い作品に力をもらえますよ。

写真1:花農場あわの1カモミール、ひなげし、ネモフィラ、矢車草などがたくさん咲いています

 

写真2:花農場あわの2:里山と花

 

写真3:花農場あわのの料理:地野菜たっぷり使った田舎風イタリアン

 


写真4:北方文化博物館(新潟)の藤:藤色の空気を感じます

 



写真5:大森第一中学校の生徒さんたちによる書道作品の展示


 

 

 

 

Yaşargil先生を偲んで

  Y   Yaşargil 先生を偲んで                                                                                            森田明...